「臨死体験と人間の生と死」 (カール・ベッカー京都大学大学院教授)

東アジア歴史文化研究会15年の歴史の中で7回の講演は何と言ってもベッカー教授しかいません(後で調べてみたら黄文雄氏も7回でした)。ベッカー教授とは20年にもわたってよき交わりをさせていただいておりますが、日本人以上に日本人的感性をもっておられ、日本人でも難しい敬語を使いこなされるのでたいへん恐縮してしまいます。
ドイツ系アメリカ人であるベッカー教授がまだ筑波大学におられるとき、「どうして臨死体験、体外離脱について研究するようになったのですか?」とたずねたことがありました。「私のまわりでたくさんの方が亡くなった・・・」と、ほとんど言葉がかえってきませんでした。それ以上お聞きするのは悪いと思ってやめてしまいました。ですからベッカー教授がなぜ生と死の問題を取り組むようになられたのか、また機会があったら聞いてみたいものです。
臨死体験の話しは、何度聞いても興味深い内容です。人間というものは本当に不可思議な存在だと思います。体外離脱、臨死体験は死後の世界を垣間見る、その入り口部分であると思います。死後世界の存在があるのかないのかということもたいへん重要なテーマですが、それ以上に死を通して今をどのように生きるべきか、この問題はもっと重要ではないかと思います。 そこにベッカー教授の追い求めてきたテーマがあるのではないでしょうか。
以下は6年前の講演要旨です。長文ですが、参考にしていただければ幸いです。
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◆臨死とは何か
「臨死」とはニアデスの訳語で「近死」と訳されたこともあります。十数年前、立花隆氏がNHKの番組にかかわったときに「臨死」を使ったことから定着しました。人が死ぬと、まず呼吸が止まる。日本語の「死ぬ」は、「し」が息を、「いぬ」がなくなることを、つまり息をしなくなることを意味しています。次には心臓が止まる。場合によれば心臓マッサージや人工呼吸をしますが、それでも蘇生しなければ死とみなされます。
ところで、死んでいない人も臨死体験をすることがあります。寝たきりの目の見えない老女は、意識が身体を離れて部屋で行われていることを鮮明に見たり、孫の見舞いのカードやテレビの注意書きまで読んだという。看護士が見舞いカードやテレビの注意書きを見ると、老女が読んだとおりだったという。こういう話は、死の一日から一ヶ月前の人に多いようです。
欧米で臨死体験が注目されたのは、アルバート・ハイムというドイツ人の医師で、アルピニストが遭難事故で死にそうになった時の体験を、1892年から本格的に集めたのがはじまりです。死にそうになって、幻覚のように「あの世」の様子を見たり、離れたところから自分の体を見ていたという報告が多くありました。
サンフランシスコの金門橋は自殺の名所ですが、よほどうまく飛び込まないと、すぐに溺れ死ぬことはないそうです。飛び込んでも人は水面に浮き上がってくるので、水上警察が救い上げ、救急医療を施します。落下している最中に、体から意識が離れ、落ちている体を見たという報告が、彼らから多く寄せられました。さらに、暗闇(トンネル)を経て、きれいな花園に出た体験をしている人もいます。ごく稀には、脳波が全くない時、自分が体から離れて、実家に戻り、応接間にいた母と叔母に会ってきた例もあります。二人が着ていた服装、話していた内容が報告され、後の追跡調査でそれらが確認されました。常識的には、脳波がなければ経験できないことは医学のドグマですが、脳が動いていなければ意識はありえないというのは唯物論的発想です。呼吸、心臓、脳波の停止を超えても蘇生し、臨死体験を報告した人もいます。
そうなると、いつ死を宣告したらよいのか極めて難しくなります。どうみても数時間にわたって死んでおり、その間に何かを経験していたとすると、一般的な意味で「あの世」があると言いますが、臨死体験者は「あの世」を体験したと信じています。死んでいない人、死につつある人、死んだと思われる人が、同じような臨死体験を報告しているので、体だけ調べても臨死体験をしているかどうかわかりません。また、臨死体験研究者の間では、体験の深さ、確かさなどを確認する心理学的テストがつくられ、その信憑性も確立されています。
◆臨死体験の七段階
臨死体験の内容には、七つの大きな要因が挙げられます。
一番目は、体外離脱。普段は、頭の中から目や耳を通してこの世を撮影し、記録しているように感じます。そうした行為の中心部が頭の中にあるように思えるのに、一時的に体を離れて、病室のベッドで寝ている自分の体を見下ろしたり、あるいは実家を見てきたりしています。
二番目は、闇の体験。人によってはトンネル体験。闇がいろいろな形で現れます。トンネルと言われているのは、多くの場合、闇の体験の中から、どこかに光を見いだし、その光に近づけば光がますます大きくなり、トンネルを出て行くかのような錯覚になるからでしょう。
三番目は、やがて光の世界に出てくること。光の世界は自然のイメージが極めて多く、花園や地平線、水平線まで見えることもありますが、逆に人工的な建設物はめったに現れません。
四番目は、自分の人生を振り返り、走馬灯のようにいろいろなことを思い出すこと。ライフ・レビューともいわれます。ただし、普通は記憶する主体は自分ですが、不思議に第三者の目、いわば仏や神の目で見ています。例えば、自分の体を外から見て、小さいころの自分が、どんな遊びをしていたのか、社長になって会議で何を話していたのかを、周囲の気持ちまで感じながら、客観的に見せられたという報告も多くあります。人によっては全く体で記憶したのと同じものもありますが、不思議と客観性をもった記憶を見せられる例が多いようです。
五番目は、何かの神的存在に出会うこと。その内容は、文化によって異なります。奈良時代では弥勒菩薩や地蔵菩薩が一番多いようです。平安時代中期になると、阿弥陀仏という来世の仏の比率が上がり、弥勒や地蔵は減ります。さらに室町、江戸時代になると、お大師様や観音様をはじめ、いろいろな神仏が未統一のまま現れます。二十世紀になると、七、八割は自分の祖父母、亡夫妻、亡兄姉に出会うようになります。これらはいずれも非常に尊敬すべき対象で、愛情と慈悲と智慧に満ち溢れる存在に見えている、という共通点があります。
六番目は、何らかの境界線にぶつかること。日本人では三途の川。イギリス人、フランス人などは絶壁。これを乗り越えると二度と戻れないと言われています。以上のような六つの順序は患者によって異なる場合もあります。
七番目は、自分の体に戻ってくること。不思議と気分が高揚し、少なくとも、死に対する恐怖が完全に消え、死後の生に対する深い確信を持つようになります。自分は「あの世」にいたかったのに、なぜこの世に戻されたのかと怒る人もいれば、何かやり残しがあるからこの世に戻されたので、それを完成してから「あの世」へ行こうと思う人もいます。
◆夢でも幻想でもない
臨死体験は夢か幻想ではないかと思われることがあります。しかし、米国では25年前から国際臨死体験研究学会の研究に基づいて臨死体験が報告されています。まず、夢とは基本的な違いがあります。夢は次々に変化し、場面が脈絡もなく展開して連続性に欠けます。ところが、臨死体験は連続性が守られ、体を持った日常生活と同じような感覚で、次元が異なったとしても、途中にわけもなく周囲が変わってしまうことはありません。人は毎晩必ず夢を見ます。見ていない人は覚えていないだけです。また、同じ内容やストーリーの夢を見るのは極めて珍しいです。ところが、臨死体験は、奈良時代から今病院で亡くなりつつある人まで、その内容がそっくりなのです。アラビア人が砂漠を見るに対してポリネシア人が海を見るように、その時代や文化を多少反映することはありますが、全体の流れが人類共通であることが非常に興味深く、臨死体験が普通の夢とは思えません。それに臨死体験では知るすべのないような情報まで獲得していることがあるからです。
ロサンゼルスで、二十歳の若者が乗っていたバイクがダンプカーに猛スピードで衝突し、彼は即死状態で病院に運ばれました。心臓マッサージでひととき目を覚ましました。彼の話では、バイクがダンプに衝突する直前に自分は浮き上がり、スローモーションのように事故を見ていた、という。そして、体が救急車に乗せられる時、「あの世」で祖父母と従兄弟に会ってきた、という。母によると、祖父母はとっくに他界しているので会うのは考えられることだが、従兄弟は同い年で、ニューヨークにいるというので、彼が会ったのは脳の障害による幻覚だろうと思われました。残念ながら、本人はその数時間後に亡くなってしまいましたが、その時、ニューヨークから従兄弟が死んだという連絡が届きました。母親は知らなかったけれど、彼が事故に遭った時、ニューヨークの従兄弟は既に死んでいたのです。
ギリシャ正教では神が人間をはるかに超えた存在なので、聖者を通して祈る習慣があります。聖者を描いたのがイコンです。熱心に聖ヒエロニムスという聖者のイコンに向かって祈っていた老婆がいました。その聖者はたいへん美男子に描かれていました。その老婆が八十を超えて入院し、病院で臨死体験をしました。暗い闇を経て花園に出た時、とても容姿の汚い聖者が迎えにきました。ひどい身なりで、言葉も冷たく、老婆はこの無精ひげの聖者は誰かと不思議に思いながら、仕方なく花園を案内されました。「したいことはないか」と聞かれ、「孫たちに会いたい」と答えると、自分の体に戻され目が覚めました。そこで、いつも祈っている聖ヒエロニムスがどんな人か調べてもらうと、数百年前にプロイセンにいた出家聖で、頭の良いことで有名でしたが、人間関係に冷たく、周囲を馬鹿にするような態度をとっていたという。老婆に絵を見せると、花園で会った聖者でした。つまり、自分がいつも見ていたイコンの絵と聖者の実像とは違っていましたが、臨死体験では実際の聖者に出会っていたのです。老婆にとって期待はずれのイメージでしたが、臨死体験は宗教教育だけで説明できることではないことを典型的に示しています。
日本での例は、1988年11月18日、スクールバスを降りようとした中学生の野堀拓路君が、時速80キロで飛ばしてきた対向車に跳ね飛ばされ、頭蓋骨が陥没し、脳みそが半分出たような状況になりました。救急車で病院に運ばれましたが、たらい回しにされ、やっと受け入れてくれた病院の救急医療室にいたのは経験の浅い若手の鮎沢聡医師でした。鮎沢医師は、引き受けたものの、ひどい傷害で、ほとんど死んだも同然の少年をどう治療するか苦悩しました。人工呼吸器が付けられ、点滴をされ、手術を試みられましたが、拓路君は49日間意識不明でした。ところが、50日目に意識を取り戻し、書くものが欲しいという手振りをしたそうです。鉛筆とノートを渡すと、彼は不思議な元気さで落書きのように何ページも書き続けました。これは臨死体験ではないかということで私も呼ばれ、画家に彼が話す体験を絵に描かせました。それをまとめたのが『死ぬ瞬間のメッセージ』(読売新聞社)です。拓路君は15歳の短い人生をレビューし、祖母に抱かれている時、初めて母親に学校に連れて行ってもらった時、動物と遊んでいる時などのイメージを外から見るように見ていました。そこで彼は、自分が一人で生きてきたのではなく、みんなのお陰で生きてきたと自覚した、という。
また、「あの世」で歩いていると、彼はある老人に出会い、「おい、おまえは喜作か」と聞かれたそうです。それは彼の父親の名前だったので、「いいや」と首を振ると、「まさか、あの噂の拓路ではないだろうな」というので、お辞儀をして「そうです」と言うと、老人は「帰れ、帰れ、おまえのいる場所ではない」と彼を帰そうとしました。ところが、事故で痛い経験をし、闇の体験に耐えてきた拓路君は、そこから離れたくなかった。彼にとって体を離れた時間は決して楽ではなく、花園に着いて初めて落ち着いた気分になっていたのに知らない老人に「帰れ」と言われても、闇にもぼろぼろの体にも帰りたくなかったのです。老人は彼を見つけると「帰れ」と叫ぶ。それで彼はやむを得ず闇のほうに戻ったそうです。拓路君が見た老人の背の高さ、顔の輪郭、目つき、方言、口癖などを母親に話すと、「それはあなたの曽祖父よ」と言う。拓路君が生まれるずっと前に往生した人でした。その曽祖父の写真を探し出し、拓路君に見せると「この人だ」と言いました。
臨死体験を起こす原因に関しても、さまざまな仮説が考えられてきましたが、自然死に近ければ近いほど、きれいな臨死体験をし、逆に麻酔薬や高熱、酸素不足などの要因があればあるほど、なぜか臨死体験の報告は減少する傾向にあるようです。したがって、臨死体験は単なる幻覚とは片付けられないことがわかります。
私も立花隆氏も臨死体験の事例を多く報告してきましたが、それでどうなるのかという疑問を感じてきました。奈良時代の昔から日本人は、死はすべての終りではなく、別次元の世界が続くことを知っていました。そこで、臨死体験研究をどのように応用できるかが問題になってきます。日本人は昔から潔く往生しようとしてきました。そこから、生き方としてだけでなく、死に方においても、全世界に誇れるような文化を持っていました。人生の終りが近づくと家族や知人を呼び寄せ、「私は先に行くから、後のことは頼む」と最後の言葉を述べ、世話になった礼を言いながら死んでいったのです。残念ながら、今の病院ではこれが至難の業になっています。また、日本人は、人は死んでも先祖となって身近にいると感じてきました。伝統的に先祖を尊び死者を敬い、仏壇の前で報告をしたり、守護をお願いしたり、先祖に対する感謝やお詫びの気持ちを伝える習慣がありましたが、それもなかなかできない時代となりました。
(前半終了)
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人間どんなに努力しても人生たかだか百年ぐらいです。限られた人生を生き、やがて死をむかえる瞬間がおとずれてきます。誰も避けて通ることのできない運命ですが、私たちはやがておとずれる死をどのように受け止めたらよいのか、関心を持たざるを得ないテーマのひとつではないかと思います。
19世紀から20世紀にかけて、「死後生」(死後の生命)が存在するのか否か、たくさんの人々が探求してきました。近年、レイモンド・ムーディ、キューブラ・ロス等、かなりの学者が実証的に「臨死体験」を研究し、興味深い内容が示されています。
「臨死体験」した多くの人々が口をそろえて言うことは、死とは決して恐ろしいものではなく、この世での修行を終えて帰郷する、安らぎの瞬間であるということです。そして、その「臨死体験」を通して、生きることの本当の意味を問い直される瞬間であるということです。
臨死体験の話しは何度聞いても興味深いですが、前回のファイルにもありましたように七つの体験に集約できるということです。一番目は体外離脱。二番目は闇の体験。トンネル体験。三番目は光の世界に出る。四番目は自分の人生を走馬灯のように振り返るライフ・レビュー。五番目は何かの神的存在に出会うこと。六番目はこれを越えると二度と戻れない境界線。日本人では三途の川。七番目は自分の体に戻ってくること。
例外ですが、三途の川を渡ったのにもかかわらず連れ戻されてきた人もいます。人間というものは本当に不可思議な存在です。体外離脱、臨死体験は死後の世界を垣間見る、そのほんの入り口部分にすぎません。
さて、ここからがベッカー教授の本当の本題となります。あくまでも臨死体験や体外離脱は最初の導入部分であり、今の世を如何に生きるか、どのように死を迎えるか、これがもっとも重要なテーマでもあると思います。この内容を知れば、むやみに自分の命を粗末にすることもなく、より良い人生を考えるきっかけになるのではないかと思います。では、ベッカー教授の講演の後半をとうぞご覧ください!
19世紀から20世紀にかけて、「死後生」(死後の生命)が存在するのか否か、たくさんの人々が探求してきました。近年、レイモンド・ムーディ、キューブラ・ロス等、かなりの学者が実証的に「臨死体験」を研究し、興味深い内容が示されています。
「臨死体験」した多くの人々が口をそろえて言うことは、死とは決して恐ろしいものではなく、この世での修行を終えて帰郷する、安らぎの瞬間であるということです。そして、その「臨死体験」を通して、生きることの本当の意味を問い直される瞬間であるということです。
臨死体験の話しは何度聞いても興味深いですが、前回のファイルにもありましたように七つの体験に集約できるということです。一番目は体外離脱。二番目は闇の体験。トンネル体験。三番目は光の世界に出る。四番目は自分の人生を走馬灯のように振り返るライフ・レビュー。五番目は何かの神的存在に出会うこと。六番目はこれを越えると二度と戻れない境界線。日本人では三途の川。七番目は自分の体に戻ってくること。
例外ですが、三途の川を渡ったのにもかかわらず連れ戻されてきた人もいます。人間というものは本当に不可思議な存在です。体外離脱、臨死体験は死後の世界を垣間見る、そのほんの入り口部分にすぎません。
さて、ここからがベッカー教授の本当の本題となります。あくまでも臨死体験や体外離脱は最初の導入部分であり、今の世を如何に生きるか、どのように死を迎えるか、これがもっとも重要なテーマでもあると思います。この内容を知れば、むやみに自分の命を粗末にすることもなく、より良い人生を考えるきっかけになるのではないかと思います。では、ベッカー教授の講演の後半をとうぞご覧ください!
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(後半)
◆末期患者のケアに
末期患者が病院に入院すると、まず死の恐怖が生じてきます。彼らが死を恐れるのは、第一に肉体的に痛みです。それに対して医療は「痛みを取り除く」ことを約束します。ほとんどの患者には、これから痛みが来るという予感があり、その時に治療を施せば九割方痛みは防ぐことができます。何より患者に対して痛みを取るという約束が安心を与えることになり、それだけでほっとする患者が少なくありません。
第二に、社会的な痛み。患者が死に近づくにつれて、看護師や医師、カウンセラーでさえ一緒に過ごす時間が次第に減ってきます。意図的に減らしているわけではないが、何もしてあげられないことから無意識的に会うのを避けるようになります。それが本人にとって、やはり自分は見捨てられているのだと、極めて心痛く感じるのです。たとえ、「あの世」が存在するとしても、死は究極の独り旅です。誰も一緒に手をつないで行くことはできません。そこからくる孤独感を、どうすれば癒すことができるでしょうか。あくまでもカウンセリングの領域ですが、「あなたのために最後まで務める」という約束で、一人になりたくない、独りでいるのが怖いという痛みをかなり取ることができます。
第三に、精神的な痛み。誰もが未達成感を持っており、「したいことができなかった」と思うと、絶望感に陥りやすいのです。どうやってそれを癒すことができるのか。まず、その人のライフヒストリーを聞くことから始めます。できなかったことよりも、できたことを賛美します。「あれもこれもしたい」と言うと、「あれもこれもできたではないですか」と話します。「私にはとても真似できないことをやってきましたね」と、繰り返し褒めると、そのうちに本人は、「なるほど言われてみれば苦労の多い人生であったが、良い体験をさせてもらった」と思うようになる。普通の年配者の場合は、これが有効です。
また、末期患者には何もできないのではなく、これからできることが山ほどあります。例えば、遺言を書くことです。ある老婦人は、最初は遺言など要らないと言っていましたが、誰かと文通したことはないのかと聞くと、「ある」と言う。その人に対して文房具などをあげればと言うと、「なるほどそうしようかしら」となります。知り合いの中で音楽の好きな人には、もっているCDを分けてあげれば、と言う。金銭的には安いものでも、その人の思い出のこもったものなのでお金では買えません。そうしたものを渡すことによって、一緒に音楽を聞き、文通したことを思い出してほしいというメッセージを込めることができます。そうしたヒントを与えると、お年寄りの中には次の面会までに詳しいリストをつくっている人もいます。それによって、自分がどれだけ広いつながりを持っているか、その人たちのかかわりが自分にとっていかに大事であったかを再確認するきっかけとなります。
「誰かに何か伝えたいことは?」と聞くと、最初は「別に」と言う人がほとんどだが、次の週に同じことを聞くと、「実は長い間連絡していないが、できれば亡くなる前にお詫びを言いたい」「あの恩師に一言お礼を言いたい」など、お世話になった人、大事だった人が多くいることを思い出し、何とかして連絡を取りたいと思うようになります。簡単な手紙を書いたり、電話をしたり、あるいはその人への伝言をカセットテープにとって送ると、それはかけがえのない形見となります。病院で寝たきりになり、本人は自分の家に戻れなくても、ビデオやデジタルカメラで部屋の様子を撮影してきて、個々のものをどうするか相談します。本人の言うとおりにすると、未達成感が減少し、死に対する恐怖心が薄れます。
最後は、霊的な痛み。よほどの信仰がない限り、死んだらどうなるのかという不安を誰もが持っています。それに対して、臨死体験やその人の他界観も活用することができます。死につつある患者に、神父が「チャンスです。イエスを信じてください。救われますよ」と言っても、それを受けて「信じます。救われました」などと言う日本人はいません。信じるということはそういうことではありません。
末期患者に白い紙と筆、絵具を渡し、死んだらどうなるのか、思いつくことを描いてくれるように頼むと、最初は「分かるわけがない」と言っていますが、数週間のうちに何も描かない人は意外と少ないようです。夜空、虹、池などの自然の景色、親類、阿弥陀坐像などさまざまですが、それがその人の深層心理を表しています。それを認め、肯定し、「これはいい絵だ」と褒める。「虹を超えるとあの世があるのか」と聞くと、「そう思って描いてみた」と言う。「向こうには誰がいるのか」と聞くと、「よく分からないが親がいるのかもしれない」と言う。「それなら死は怖くないじゃありませんか。結構、心の奥底で分かっているようですね」などと励ますと、どんな説教よりも効果的です。逆に、本人が信じていない教えを語っても無駄です。
◆死は敗北ではない
仏教には次のような話が残されています。ある日、釈尊のところにインド人がやって来て、「私たちは死ぬと皆、先祖のそばに行く」と、まさに釈迦に説法しました。釈尊は「そう、よく分かりましたね。いずれ親戚に会うのだから、真面目に毎日生活しなさい」と話しました。次の日に、別の人が来て、「私たちは死ぬと天秤に掛けられて、天国か地獄に分けられる」と言うと、釈尊は「よく分かりましたね。これは大変なことです。その審判に耐えられるよう後悔のない人生を送りなさい」と言って帰しました。三日目にヒンドゥー教の人がやって来て、「死んだらその人の業(カルマ)によって次の生まれ変わりが決まる」と言うと、釈尊は「よく分かりましたね。良いものに生まれ変われるように頑張りましょう」と言いました。
これを三日間聞いていた弟子たちが怒って、「私たちには仏教の真理を語っているにもかかわらず、来る人に合わせて、都合のいいように答えるとは何ですか」と言うと、釈尊は「本人がそこまで信じているのであれば、私が何を言おうと簡単に変えられるものではない。ならば、不必要な論議や隔たりをつくるよりは、その生死観をもって相手を励ました方が、よりよく生きてもらえるのではないか」と答えました。まさに臨終に生かしたい知恵です。
生死観とは自分自身を支えるためのもの。自分なりの他界観、来世観がなければ、死につつある人たちを見るのが非常に辛くなります。また、その人が深く持っている生死観を聞き出さないと、その人を支え、ケアすることはできません。来世の存在を証明するのは不可能ですが、あるかもしれないという可能性を認めると、まず死に対する恐怖、孤独感が和らぎます。患者自身がもしかしたら死んだら誰かに会える、すべての終りではない、とそれなりの希望を持つことができます。
実は、多くの医師がかなり死を怖がっています。医学は病気の治し方は教えても、死にゆく人への治癒は教えません。死は直す方法がないからです。病気を治せず、死が近づいている時、医師が敗北感を覚えるのは当然です。そこで、考え方を少し変え、死は医療の敗北ではなく、自然の摂理であると解釈すればどうか。体の一部だけの生を長引かせるのではなく、丸ごとの人間が亡くなりたい形で亡くならせようという方向に、少しずつ理解を変えていく医師もいます。
私が心から尊敬する職業は看護師です。特にたいへんなのは末期患者ばかりを診ている看護師です。回復して元気になる見込みがあるならば喜びがあるけれど、末期患者にはそれがありません。患者を頭から足先まで拭いたり、オムツを取り替えたりしているうちに情が移り、少しでも長生きをしてほしいと自然に思うようになります。しかし、やがてその患者は亡くなり、霊安室に移されます。その時に感情移入をしていればいるほど心に穴が開いたような空しさが広がります。
看護師の対応には二通りあります。一つはそういう打撃をうけないように、できるだけ事務的に世話をするように心がけるタイプ。患者から見ればあの看護師は冷たいと感じるでしょう。もう一つはできる限りケアをするタイプ。しかし、患者が次々に亡くなると、心はぼろぼろになってしまいます。もし、死がごみ箱行きであればそうなるでしょう。しかし、そうではなく、人生最大の旅立ちだと解釈すればどうでしょうか。死が必ずしもすべての終りではないと考えると、患者を見送る意義を見いだすことができます。単にごみ箱の掃除をするのではなく、一生に一度しかない通過儀礼、死の旅立ちの準備をしていると。
北米で「デス・エデュケーション(死の教育)」を開拓した西オンタリオ大学のジャック・モーガン教授は何千人もの死を見送ってきました。「これだけの死を看取って辛くならないか」と聞くと、彼は優しい目でしっかり私の目を見つめて、「これだけ貴重な体験はほかにない。その一番貴重な瞬間を分かち合える喜びは大きい。辛いなどと思わない」と答えた。「もちろん、もっと長生きをしてほしい人もいるし、涙ぐむこともある。だが、これが大切な瞬間だと分かれば、その貴重な現場を遠ざかることはできない。死ぬまでこの仕事をさせてもらいたいと思っている」と語る博士に頭が下がりました。
◆一期一会の生を
北米には遺族カウンセリングをする病院があります。末期患者は三ヶ月から半年の余命の時にホスピスなどに移り、毎月患者を中心にパーティを開きます。家族、親戚、友人、医師や看護師に、希望があれば牧師や僧侶を呼びます。もうすぐ亡くなるので、アルコールもタバコもかまわず、本人の話したいことを中心に一緒に歌を歌ったりして楽しみます。回を重ねるうちに患者が亡くなり、その後も黒縁の写真を飾って続けます。お金はかかるけれど結果的には安上がりだということです。
遺族カウンセリングを受けた人たちが患者の死後、事故に遭う病気になる確率は一般人と同じですが、受けていない遺族は、死後一年以内に突然死、急病、自殺未遂、精神異常、事故などに見舞われる確率が高くなるそうです。いわば祟りといわれるものですが、そうなるのは打撃を受けた遺族の精神統一ができていないからだと思います。遺族カウンセリングを受けた方が事故や病気などによる損失が少なくて済むということです。
毎月、故人を偲ぶ習慣をつくったのは日本の仏教ではないでしょうか。四十九日、周忌、回忌、初盆などで親戚を呼び、故人の話をしているうちに、その人に関する理解と精神統一ができ、死者も成仏し、祟りが来なくなるというのが、昔ながらの日本人の知恵です。その習慣が忘れられつつあるのは非常に残念なことです。
人間は絶望観から自殺したくなることもあります。現在、日本は世界一の比率で、九分に一人が自殺しています。「あの世」があればこそ、この世から逃げたくて自殺するのではないかという反論もあります。ただし、不思議と自殺未遂の臨死体験者の話は、怖い、暗い、冷たいなど非常に嫌な体験が多く、臨死体験としては例外的です。自殺願望者は、消えたい、無になりたいと思っていますが、自殺してみると、残念ながら無ではなく、自分がまだおり、悩みを抱えたままの意識が、さらに絶望的な孤独感に陥ってしまいます。自殺願望者にとって必ずしも「あの世」は明るいところではなく、逃げ場にはなりません。逆に、死ぬことを悟ると、人は生きているこの一瞬を満喫したいと思うようになります。茶道でいう「一期一会」の生き方がそこから始まるのではないでしょうか。
《カール・ベッカー教授プロフィール》
1951年米国シカゴ生まれ。1971年米国プリンキピア大学卒業(宗教哲学)。1981年 ハワイ大学イースト・ウエスト・センター大学院哲学研究科博士課程修了(ハワイ大学Ph. D.)。1992年京都大学教養部助教授、1998年京都大学総合人間学部教授。現在、京都大学大学院人間・環境学研究科教授。同大学こころの未来研究センター教授を兼任。研究分野は日本的死生観と医療倫理、自殺と安楽死、ホスピスとターミナルケア、命の教育とスピリチュアルケア。1983年体外離脱体験研究により、アシュビー賞を全米宗教心理学会から受賞。また臨死体験研究のため、国際臨死体験研究協会を設立。1986年に国際教育研究会(SIETAR)から異文化理解賞を受賞。1992年にボンベイ国際大学から名誉博士号を授与される。1990年代に入り、日本でも脳死問題や臨死体験が関心を集める中で、『死の体験』『死ぬ瞬間のメッセージ』『いのちと日本人』『「脳死」と臓器移植』などを刊行し、立花隆とテレビにも出演。異文化間理解のための教材を開発し、遠藤周作等と『「深い河」をさぐる』、『こころの海を探る』、等の対談を発表。その他に『生と死のケアを考える』(法蔵館)、『死を見つめ、今を大切に生きる』(日野原編・春秋社)『いさぎよく死ぬために』(春秋社)、『比較文明学を学ぶ人のために』(伊東編、世界思想社)等多数。
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