『もうひとつの「葬られた王朝」』(歴史エッセイ 宮崎正弘)

蓮田善明は「故郷の駅に降り立ち眺めたる かの薄紅葉 忘られなくに」と故郷への郷愁を詠んだ。
筆者も高齢者となり、猛然と故郷のこと、北陸の古き歴史を調べたくなった。折しもコロナ禍で巣ごもり、海外へは行けないが国内旅行は可能だ。
「葬られた王朝」として出雲は存分に書かれた。「葛城王朝」にしても議論は進んだ。
邪馬台国の卑弥呼も奇想天外なほど議論されたが、もう一つ、忘れられた王朝がある。
古事記は出雲とオオクニヌシノミコトの活躍を特筆しているが、高志国に関しては殆ど叙述がない。
越前、越中、越後が百貨店で有名な「三越」のいわれではない。越後はさらに上越、中越、下越と行政区分で分かれ、現在の新潟県の三つの越を以て「三越」、昔の越後屋である。
古事記にでてくる高志は別名「古志」、もしくは「越」である。ちなみに新潟地震で全国区となったのは「山古志村」。名酒は「越乃寒梅」。福井県には「古志中学・高校」がある。富山の名物は「紅高志蟹」、文学館は「高志国の文学館」。金澤には「丸越」デパートがある。
高志はもっと広範な地域を意味し、若狭、越前、加賀、能登、越中、越後、それに庄内の南部を加えた。縄文時代の高度な文明地域で、翡翠などの交易で栄え、海流の関係で出雲文化圏との交流が活発だった。信濃の黒曜石も一部は高志国まで運び、全国にもたらされた。翡翠は糸魚川が産地だが出雲に運ばれ、玉造でも加工されていた。
近年、議論されてきたのは銅鐸が集中的に出土し、出雲大社があり、神話の題材も豊富な出雲である。
古事記に加えて出雲国風土記の解析が進み、古代に地域的な王朝があった事実は決定的となった。
ところが古事記には「高志の八俣の大蛇」と書かれ、出雲国風土記にも2ケ所、古志の地名が出雲に残るが、それだけである。高志国は歴史から消えた。
第一に高志国風土記がないからである。考古学的には新潟の馬高遺蹟。石川県にチカモリ遺蹟。富山の北代縄文遺跡などが夥しいが、歴史学者は関連性を位置づけない。「日本海文明圏」への理解が薄いのだ。
第二に高志国が出雲と連合したためである。
オオクニヌシノミコトは高志の女帝ヌナカワヒメを娶った。これは出雲が高志国を組み込んだという意味である。古事記などが示唆するのは大和朝廷との国譲りでオオクニヌシノミコトがタケミカヅチノミコトと最終的な話し合いで決着したため出雲と連合を組んでいた高志国もそのまま編入された。崇神天皇が将軍を派遣して征圧した経緯が記紀で語られたのち消息が途絶えた。
第三に、その後、高志国が歴史に登場するのは大伴家持の越中国府(高岡)赴任であり、空白期が長すぎるのである。
北陸生まれの筆者は高志国の謎解きにこれから挑もうと思う。
(この文章は『北国新聞』コラム『北風抄』、4月19日付の再録です)
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