東アジア歴史文化研究会のブログ

日本人の素晴らしい伝統と文化を再発見しよう

『正伝 出光佐三 日本を愛した経営者の真髄』奥本康大著(展転社) 終戦二日目に出光佐三は社員への訓辞を書いた 「大東亜戦争は『消えた』のであり、勝負は決していない」

東アジア歴史文化研究会

『海賊と呼ばれた男』という映画を見た。五年ほど前だった。試写会だったか劇場だったかの記憶はない。

映画は劇的なシーンを重ねて盛り上げているのだが、セットがみすぼらしくて、ずばり感動が薄かった。主演者の下手な演技もさりながら、評者(宮崎)が学生時代に、感動して二回読んだ出光佐三本人の『日本人にかえれ』の読後感とすごく違うのである。もっとも映画も原作本も主人公の名前は違ううえ、原作を読んでもいないので、映画の話はこれくらいで措く。

本書を読んで、その違和感の原因が得心できた。

出光佐三の先祖は宇佐神社宮司だった。大家族であり、苦学して神戸の高校にすすんで、丁稚奉公にでて社会を学んだ。

若くして油をあつかう会社を立ち上げた。その無名の青年がひたすらがむしゃらに働く日常をじっと監察していた素封家は、その不屈の精神に惚れこみ、ポンと現在の価格に換算して一億円を佐三にあたえた。その恩人は日田翁。「返せとも言わないし、利息も不要。やりたいことをやってみればええが」。

その頃、資源産業の現場を執拗に精密にみて廻っていた佐三は「あと五十年で石炭は廃れる」と予測した。三井三池炭鉱全盛、飛ぶ鳥を落とす勢いの頃である。

型破りの行動力を伴って、官庁と軍を説き伏せ、或る時点から出光は海外へ商圏を急拡大した。昭和十二年には多額納税者入りし、国会議員にもなった。

ところが海外への商圏拡大は仇となった。敗戦で抱え込んだ借金は、現在の物価価値に換算して500億円強だった。

不可抗力とはいえ、人生万事、波瀾万丈。

なにも海賊的行為をしたわけではなく、日本精神、とりわけ教育勅語に則った社員教育をなし、ひとりの首も切らずに戦後はラジオ修理などもやりながら耐えた。家族のような絆で社員は結ばれていた。

社員の入社式で佐三の訓辞は『卒業証書を捨てよ』だった。だから、本書の奥付で奥本氏は肩書き学校名のところを「卒業証書は捨てました」と書いているのだ。そう、この本の著者は出光OBである。

石原慎太郎が出光佐三をモデルにした小説は『挑戦』である。

これも学生時代に読んでいるが、国際カルテルであるメジャーの徹底的な妨害にもめげずに、イランから自社タンカーで石油輸入に賭けた男の情熱、灼熱をテーマにした愛国的な作品だった。

戦後の日の丸タンカーのことは年配者なら昨日のことのように覚えている。日章丸、英国の妨害、訴訟に怯まず、出光は堂々と民族資本としてイランから石油を輸入した。カルテル、メジャーの國際支配の壁をぶち破った快挙は、GHQ時代の閉塞感を吹き飛ばした。

昭和天皇陛下は出光佐三を追悼して御製をおつくりになった

 国のため ひとよつらぬき 尽くしたる きみまた去りぬ さびしと思ふ

出光佐三の希望により、分骨された骨を収納した墓は尊敬した鈴木大拙が眠る同じ寺、鎌倉東慶寺にある。

本書は海賊という歪んだイメージを正した正伝である。


著者:奥本康大 昭和25年生。現役時代は出光興産株式会社に勤務。父、奥本實は、昭和17年2月14日インドネシア・スマトラ島パレンバン奇襲作戦に従軍、殊勲甲の手柄をあげ、陸軍中尉としては異例の昭和天皇に単独拝謁を賜わった元軍人(終戦時は陸軍大尉)。現在は保護司、調停委員として社会貢献に従事。「空の神兵」顕彰会を主宰し、正しい戦争の歴史を後世に伝えるべく講演会、勉強会の開催ならびに慰霊碑、顕彰碑、記念碑の建立活動に取り組んでいる。史実を世界に発信する会委員、二宮報徳会理事、新しい歴史教科書をつくる会千葉支部幹事。著書に『なぜ大東亜戦争は起きたのか?空の神兵と呼ばれた男たち』(共著者:高山正之)、『大東亜戦争 失われた真実』(共著者:葛城奈海) がある。