東アジア歴史文化研究会のブログ

日本人の素晴らしい伝統と文化を再発見しよう

神道研究家 山村明義氏講演「日本人と神道 あらためて神道のすごさを再発見」レジュメ

東アジア歴史文化研究会

2015年2月26日 第114回東アジア歴史文化研究会
テーマ「日本人と神道 あらためて神道のすごさを再発見」レジュメ
作家・ジャーナリスト 山村明義氏

1、世界に通用する日本神道の自然崇拝
大自然の中に神霊を見出し、自然を大切に扱う日本の神道。その神道の自然崇拝のあり方は、間違いなく世界に通用する。世界で続く自然破壊による異常気象は、年々激しさを増しているが、鎮守の森など自然の姿を大事にしてきた神道は、世界のあらゆる宗教の中では最も自然を大切にしていると言える。山川草木、海や大地の中に宿る神霊を見る日本人の行いと自然を敬い感謝する優しい目線にこそ、自然環境を守る考え方に通じる。

一方、キリスト教など世界の宗教は自然を大切にして来なかった。現代は「一神教的価値観(キリスト教・イスラム教など」から「多神教(神道)的価値観」の世界に変わりつつある。二元的な過去のキリスト教社会と思想とは、「正統」と「異端」、「天国」と「地獄」、「唯物論」と「唯心論」、「科学」と「非科学」などという「二元的価値観」を基に合理性を判断してきた。例えば、アメリカ国内でも「WASP」(アメリカの白人のアングロサクソンとプロテスタント)と「有色人種」と分け、物事を対立概念として捉えることがなくなり、「個人主義」や「人権主義」、「人間中心主義」なども万能ではなくなった。実際にアメリカ国内では、従来の白人プロテスタントだけではなく、カトリック・ユダヤ・イスラム・アジアなど、多種多様な「多元的宗教観」が中心になり始めている。

また一方で、多神教的社会の中では、人間は一人で成り立っているのではなく、回りの人や自然に守られると考える。例えば、潔さを大切にする心は、神道の「禊ぎ」から来ている。日本人には多元的かつ融和的な心がある。その心の感覚は、日本人独特のものではなく、かつては世界のあちこちで見られていた。東日本大震災で見られた世界が驚嘆した秩序を守る精神性、お互いの「繋がり」や思いやりの心、そして譲り合いで共同体を守る「互助・互譲・互恵」の精神性は、日本だけでなく世界に必要な精神性として捉えられている。

2、アジア各国に共通する祖先崇拝 
日本の神道は、日本で最も伝統的かつ保守的な「宗教」だと言える。これは、「敬神生活の綱領」に書かれている「神の恵みと祖先の恩に感謝し」という「祖先崇拝」に大きな特色がある。そこに感謝と祈りの心がある。アジアにも儒教を始め、「祖先信仰」の形はあるが、夏の「お盆」に見られる祖先の御霊を敬う祖霊崇拝というものは、「先祖の魂は、時々自分の近くに帰ってくる」という考え方に基づいている。

神社神道では、故人の霊や魂を、「怨親平等」の思想に基づき、その罪や敗北の結果にかかわらず祀る。例えば、靖國神社の問題に関しても、日本の「祖先信仰」や「日本的神道観」を説明しなければ、その考えを広げることが出来ず、今後益々世界や多くの日本人に誤解と偏見を生む危険性がある。祖先を大切にすることは、一神教型の社会ではともかく、アジア諸国では普遍性がある。靖國神社、あるいは各都道府県の御祭神の祀り方の基本には、鎮魂と慰霊という「祖霊崇拝」があることを忘れてはならない。

3、日本の霊魂観と日本人の死生観 
日本の神道には、生死観や死生観を通じた「一霊四魂」(和魂・荒魂・奇魂・幸魂)の考え方など、多様な捉え方がある。一方、本来の仏教には「魂」は存在しない。キリスト教にも「霊魂」に対する考え方があり、神道とキリスト教では、「肉体の死」=「魂の死ではない」というところまでは同じだが、共同体的価値観と魂観の近さが違う。キリスト教の「聖霊」「神霊」を表す「スピリッツ」、アフリカの先住民族が生活や自然の生命の中に見出す「生者としての魂」という意味での「ソウル」などとは違い、ギリシアの共同体に根付く「エートス」に「神道的霊魂観」は近い。 

実際に日本人は、「亡くなっても、家族のそばにいる」という過去数万年以上培った考え方から、「亡くなったら天国など遠いところに行く」という考え方への変化が起きた。

NHKスペシャル・シリーズ東日本大震災 8月放映「亡き人との再会」~被災地~三度目の夏(佐野広記ディレクター)では、「霊」の復活が描かれている。その物語は震災後に被災者家族となった3歳の子供である「こうちゃん」との出会いなどを通じて、「夢枕に出る物語」、震災後の東北では自分の肉親たちの「御霊」が出るのは有名な話だった。

また、「荒魂」と「和魂」という神道の魂の考え方を見ても、平和なときの非常時を切り分け、むしろ「非常時に強い」というのが特徴。熱田神宮の「草薙神剣」は、日本人の「荒魂」を持っていないと扱えないのではないかと思われる。戦後日本人の神道的「魂観」を欧米に奪われた、人の生と死のあり方を見つめられなくなった。

4、「祭」による時空間を超える「永遠」の創出
日本人は「イベント好き」だと言われる。「祭」とは、歴史と伝統を縦の時間軸でつないでいく。神道には、時空間を超えるという価値観がある。熱田神宮では、6月5日の例祭「あつた祭」が次世代に継承される二元的なモノとモノ、人と人との関係性の間に、神を祭る「神祭」という祭祀を挟むことで、対立を緩和する演出を行い、その意義を子孫に伝える「祭」を行う。日本の「祭」にこそ日本人の心と魂があり、日本人の「おもてなし」の原型は、神饌をお供えする神様をもてなす心を大事にする神祭にある。このように、二元論的に物事を捉えず、多元的に捉える神道的価値観は、益々重要になっている。

5、世界の物事の成り立ち・メッセージ機能
宇宙や地球が何で成り立っているか。例えば、西欧が大事にしてきた科学の世界では、ニュートンの「古典物理学」は、目に見える力学だけが全てであったが、いまや「古典物理学」から「量子力学・素粒子論」という多元的価値観へと完全に移り変わり始めている。

ちなみに、現在科学の最先端の「量子力学」と「素粒子論」の基本的思想には、「物(原子)と物(原子)の『間』に目に見えない何か(量子・素粒子)がある」と捉える考え方がある。実際に「素粒子」は、日本の神道の「分霊」(わけみたま)に近い動きをしていることが判明しており、「素粒子」の一つひとつに「神が宿る」という実態に近い。

「原子」と「原子」の「間」に何かが存在するという思想は、従来の日本人が最も得意とし、「量子力学の育ての親」と呼ばれるフランスのボーアという量子物理学者は、自然を大切にする日本の文化に憧れていた。量子は、トランスポーテーション(瞬間移動)をするといわれ、分霊(わかみたま)など神道の神々の考え方によく似ている。神道の心と魂は、自然の摂理に適っており、多元的で自由だということがわかる。今後最新科学の世界ではその機能を使ってメッセージ機能を果たすと期待されているが、これも日本人が世界に通じる「神道的価値観」と言うことが出来る。戦後日本人が教えられてきた「神道は科学的ではない」という考え方は明らかに間違っている。