大東亜戦争の夢 両親の面影をみる幼少期(加瀬英明のコラム)

アジア解放に憧れて
今年、月刊『文藝春秋』誌が創刊100周年を迎えた。今から30年ほど前だろうか。『文藝春秋』誌が新聞に社主・故菊池寛以下、創刊以来の執筆者を寄稿回数が多い順に並べた1ページ広告をのせたことがあった。
私は自分でも驚いたが、70数番目という上位にあった。
『文藝春秋』にいまでも「おやじ」、「おふくろ」という、それぞれ1ページのコラムがある。私は「おやじ」の平成13年2月号に寄稿しているが、「おふくろ」のほうは気が乗らなかったので、書くことがなかった。
父親は仕事に没頭していたから私を叱ったことがなく、ペットもどきに扱ったので兄のようだったが、母親は私の一挙一動を意にそわせようとして躾け、教育に煩く、好意をいだけなかった。
父はエリート外交官だったが、外交官は身のまわりの出費が多いから、裕福な家の娘を娶る者が多かった。父もその一人だった。
母は典型的なお嬢様だった。有名銀行の頭取の娘で、“バター臭い”家庭で育ち、敬虔なキリスト信者だった。
私は母のお嬢様のようなところが、友人たちに恥しかった。まさか随筆に母を嫌っていたとは書けなかった。といって母を嫌っていたわけではない。そりが合わなかったのだ。
もっとも外から見たら、ふつうの母と息子だったろう。
私はアメリカに留学した時に、アメリカに「マイ・マザー、ドランク・ノア・ソバー(泥酔していても、シラフでも、わたしの母(マザー))」という諺があるのを知って、その通りだと思った。
私が幼稚園に通っている時に、英米に対する戦争に突入していた。コロナによって2年中断されているが、毎年、クラス会を開いてきた珍しい幼稚園だ。クラスメートのなかに、東大総長になった蓮實重彥がいる。
戦時下の小学校へあがった。「贅沢は敵だ」というスローガンを信じていたので、母親の西洋気(か)触(ぶ)れの派手な服装がうとましかった。
「和魂洋才」と和魂
当時の世界は、白人至上主義のもとにあった。
アメリカではトランプ政権からBLM(ブラック・ライブス・マター)運動が全土を風靡したが、私が生まれ育った世界では、世界の大半を占める有色人種が白人の支配下にあって、ブラック・ライブス・マターの逆境を強いられていた。
私が物心がついたことから、支那事変(左が日中戦争と呼ぶ)が続いていた。
アメリカが日本にけしかけていると教えられたが、いまから振り返っても、多分に正しい見方だった。
私も子供たちも、日本がアジアを白人から解放する使命を授かっていると信じていた。
終戦の年に国民学校(小学)3年生だったが、いまでも「興亜の大業」という難しい言葉を覚えている。
母親の西洋気触れを嫌ったのは、浅薄なことだった。日本が近代化を遂げて先進国になれたのも、西洋の主要国と戦うことができたのも、国をあげて西洋を模倣したからだった。
「和魂洋才」といわれたが、洋才を駆使するためには、洋魂を取り入れねばならなかった。
私が高校生のころも、欧米へ渡るのを「洋行」といって憧れたし、試験でよい成績をとると、「上等舶来(じょうとうはくらい)」と叫んだ。
連合国と国連
日本陸海軍は観閲式で指揮刀を抜いて、唇の前に立てて鞘に収めることを行ったが、これは十字軍の礼式だ。刀身と鍔が交差しているのを十字架に見立てて、接吻したのだった。皇軍がキリスト教の礼法を用いたのは、滑稽だっただろうか。
アメリカのルーズベルト政権は日本が屈服した後に、白人至上主義の世界支配を続けるためのシステムをつくろうと思い立った。「ユナイテッド・ネーションズ」(日本訳で、国際連合)を創設することだった。
ルーズベルト大統領は日本が真珠湾を攻撃した翌月の1942年1月1日に、日本と戦っていた諸国をワシントンに招集して、「これから私たちの同盟を『ユナイテッド・ネーションズ(連合国)』と呼ぼう」といって、「連合国」の名称が決まった。
日本軍が第2次大戦の最後の年となった1945年5月に、沖縄に来攻した米軍を迎えて勇戦していた時に、急死したルーズベルトに代った、トルーマン大統領が、サンフランシスコに国連を創設する会議を招集した。新しい国際組織の名称は「ユナイテッド・ネーションズ」とすることが決定された。日本と戦っていることが、加盟国の条件とされたために、慌てて日本に宣戦布告した国が多かった。
昭和20年の朝日新聞を読むと、十月まではサンフランシスコで誕生した『ユナイテッド・ネーションズ』を正しく「連合国」と呼んでいるが、11月から、突然、「国際連合」「国連」に変更している。
国連が「連合国」であっては、日本を敵とする機構であるのがみえみえだ。広島、長崎に爆弾を投下したのも、「連合国(ユナイテッド・ネーションズ)」ではなかったか。
だが、今日の世界のどこを探しても、“国際連合”という名称の国際機関は存在していない。
中国では国連を「連合国」、韓国も「ヨンハプグク(連合国)」同じ敗戦国のドイツ、イタリアも「連合国」とそのまま使っている。
アジアの独立戦争勝利が世界戦争の終結
私の事務所はいつも千客万来で賑わっている。議員、作家、芸能人、労働組合幹部、外国の学者など、あらゆる職種の人たちが集まってくるから楽しい。『カレント』の矢野弾先生も、その一人だった。今年急逝されたが、惜しい人を失った。
矢野先生の縁で事務所に立ち寄られたのか覚えていないが、Aさんという高齢美形の女性がおられる。
みるからに良家の令嬢で、仏教伝来について学術書も出版されており、私がその本の内容を批判したことから、会話のよき伴侶となるようになった。
私はAさんにお目に掛かるたびに、生真面目、教養人で、西洋に憧れてキリスト信者でおいでのところも、母によく似ているのに驚いた。
最後にお会いした時に、Aさんが「世界戦争が終わって、国連、国連機関のユネスコが生まれ、ユネスコ憲章は気高い」といわれたので、「ユネスコ憲章はクズみたいなものです。ユネスコは平和に有害です」と答えた。
私がその直後に入院したので申し上げる機会がないが、先の世界戦争はまさか日本が降伏した時に終わっていない。
その意味で、日本が第2次大戦に参入した時に、「大東亜戦争」と名づけたのは正しかった。日本が降伏した後に、アジアを再び植民地とするために、連合国軍がインドネシア、ベトナム、マレーシアなどに攻め込んだ。
日本が剣を捨てた時に、アジアの同胞が日本の大東亜戦争を戦い続けた。先の世界戦争は、インドネシア、ベトナムなどが独立戦争に勝った時にようやく終わった。
アフリカ大陸も呼応して、次々と独立していった。
緒戦で日本が勝っていたころは、私もアジア太平洋につぎつぎと日の丸が書き込まれるのを見て、狂喜した。開戦時に決定した「大東亜戦争」という戦争の呼称も使っていたが、サイパン島が失陥したあたりから、しだいにアジアの解放の夢が語られなくなり、「本土決戦」「一億総特攻」に変わってしまった。
今日の日本では先の戦争を白人優位主義史観に従って、「太平洋戦争」と呼ぶのが良識で、「大東亜戦争」だと時代遅れの右翼だとみられる。
「大東亜戦争」のほうが正しい。
このブログへのコメントはmuragonユーザー限定です。