東アジア歴史文化研究会のブログ

日本人の素晴らしい伝統と文化を再発見しよう

連載コラム(19)『日本の百霊域(パワースポット) 菅原道真の遣隋使中止が日本を救った

東アジア歴史文化研究会

菅原道真は学問の神様として全国各地に祀られ、北野天満宮(北野神社)、天神(たとえば湯島天神)という名前が冠せられている。

受験生の合格祈願といえば天満宮と相場は決まっている。代表格はいうまでもなく福岡県の太宰府天満宮。

「管公」という学生服も往時は「楠公」とならぶブランドだった(余談ながら学生服が廃れ、管公学生服を「カンコー学生服」と呼び方を変えた)。

菅原道真は平安時代の貴族で政治家であり、詩人でもあり、学者でもあった。宇多天皇につかえ正一位、太政大臣。

太政大臣というのは天皇の師という位置である。

ところが醍醐帝の時代に藤原時平に讒訴されて左遷され、太宰府に飛ばされた。京へ復帰できなかったため怨霊となったと伝えられる。

寛平六年(894)に遣唐大使に任命されるが、あにはからんや遣唐使中止を建議したことで歴史にその高名を残す。

菅原道真はなぜ遣唐使の中止を進言したのか?

第一は隋・唐から学ぶべきことがなくなり、遣唐使派遣の意味を失ったからだ。明治鹿鳴館のあと国学ブームが起きたように唐風に染まりすぎた後、日本には外国かぶれに猛烈な反省が起きた。国風の復活である。

航路が安定せず、海上交通に難があり、コストがかかりすぎた等とする理由付けが戦後解釈の主流だが、基本的に間違いである。

たしかに遣唐・隋使によって日本にもたらされたのは唐風文化。建築から彫刻、絵画、仏典などが影響をあたえたことは事実だろう。平安京は唐の長安そっくりである。ところが唐の衰退により文化は荒廃を極めていた。

しかも日本が礼を尽くしての外交使節も、中国側は日本が「朝貢」に来たくらいにしか認識していなかった。あのまま遣唐使を続けていれば唐風に染まって我が国独自の文化も破壊されるところだった。

第二は遣唐使、遣隋使より遣日使のほうが多く、唐の学僧らが日本に来て驚いたのは日本文化のすばらしさ、要するに帰国したくなくなったというポイントが見逃されてきた。

日本では国風文化がひろまり、やがて平かな、カタカナが発達し、『源氏物語』など世界一級の文学が完成した。

もはや隋・唐から輸入するべき政治システムも文化も尽きていた。

第三の理由は人肉文化にほとほと嫌気がさしたからである。このポイントを戦後の歴史学界はすっぽりと閑却している。

黄文雄『食人文化で読み説く中国人の正体』(ヒカルランド)を参考にすると次のような歴史書の証言がある。

菅原道真が遣唐使停止の建議をしたころ、長安を訪れたアラビア商人は『シナ・インド物語』を書いて、役人どもが地方に派遣されると「その地域の人間をことごとく食い尽くした」と書き残した。『唐書』には「城内で逃げ遅れて人質になった者は万に達し、餓死者は日に数人ずつ出た(中略)。そのうちに殺し合い、人肉を食べるようになった」、「城内ではたがいに子供を取りかえて食用にした」とある。

宋代の『鶏肋編』には「米価が暴騰した。カネがあっても食料が手に入らなくなったため、盗賊や兵隊ばかりか一般民衆までもが殺し合い、人肉を食べるようになった。そして街中で販売されるようになった。人肉は犬や豚よりも安く、肥えたものでも一体が十五貫(コメ三丈分)にすぎなかった」と書かれている。『資治通鑑』にも「(902年)唐の西京である鳳翔城の人肉市場では、一斤(600グラム)が百銭に値し、犬の肉は五百銭に値した」と記されている。

中国人作家でノーベル賞を獲得した莫言より鄭義のほうが一時期は有名だった。

鄭義は天安門事件の指導者のひとりとして指名手配され、中国各地に潜伏したのち、1993年に米国に亡命した小説家である。その鄭義のもっとも評判を取った作品は、ある村の百年の歴史を描いたもので、要するに飢饉のたびに村人は人肉を食った。大江健三郎は、鄭義の作品群を「グロテスク・リアリズム」と評した。

中国の歴史は平均すると、十八年ごとに戦争、内乱による飢饉が発生したため、共食いが起こった。

人肉市場があり、それは闇市ではなく公認市場だった。人肉の値段は豚や犬肉より安く、また人間を食肉として飼育し、屠殺する養人場があった。処刑された罪人の肉も払い下げられたうえ、平穏な時代でも食人の習慣は絶えなかった。味方同士の共食いもあり、最大の好物は子供の肉だった。軍隊は補食として人肉を食べた。

『三国志演義』でも劉備玄徳を厚くもてなすため、山奥に潜伏していた嘗ての部下が妻を殺して馳走する場面がある。日本人は卒倒するか、吐瀉するか、しかし劉備玄徳は部下のその忠節ぶりに感傷に浸るのである。

『水滸伝』には人肉饅頭がでてくる。数え上げれば際限がないのでこの辺で止めるが、最近も胎児のスープをグルメで味わう闇のレストランが広東省にあることを写真入りで多くのメディアが暴露した。

菅原道真の決定は正しかったのである。