東アジア歴史文化研究会のブログ

日本人の素晴らしい伝統と文化を再発見しよう

『暴走老人、南へ』全アジア諸国を回ってみた(連載第30回)ネパールにマオイストが猖獗(その2)

東アジア歴史文化研究会

(承前)

▼古都にて

ネパールはチベットからの亡命者の本場だったが、マオイスト政権となってからはネパール側の監視を強化し、カトマンズにあるチベットセンターにも規制を加えるようになった。

カトマンズを拠点に古都へ出かけた。バスセンターの端っこからバスがでている。ミニバスで20人ものると一杯になり、意外に大学生が多い。途中にふたつほど大学があり、女子学生も華やかにお喋り。となりに座ったのは十八歳くらいの男子学生で、突如、この若者は日本語をしゃべり出した。

「学校で日本語を習ってます。親戚の子が日本で仕事しているので、ぼくも学校が終わったら日本に行きたい」

なるほどインセンティブが強いと語学の上達も早い。

「日本で殺人事件を起こして疑われたネパールの人、無罪になってネパールに帰ったって話、知ってる?」

「あの人は、補償金でカトマンズに家を買いましたよ」。

そうこう世間話をしている内に古都のバグタブルについた。若者は、その先の学校へ行くと、足早にさった。

旧王宮のあるバクダブルはダルバール広場を中央に 旧王宮から東側には十五、六の、様式がそれぞれことなる寺院が並んでいる。町全体が世界遺産である。

キアヌ・リーブス主演のハリウッド映画「リトルブッダ」(1993年公開)は、この町で撮影が行われた。

路地は骨董屋と御面専門店、中世の都、仏教都市にタイムカプセルで運ばれたような感じで、階段の急な或る寺の伽藍に腰掛けていたら、こんどは三人組の中国人。一丸レフを持っているからすぐに分かる。

当時、この日本製カメラは中国人のスティタスシンボルだった。

「あんたたち中国の何処から」「南京から、貴方は?」「東京」「あ、日本人。どうしてカメラもってないですか?」

わたしは胸ポケット名刺大のデジカメを出したら、なんだか時代遅れのおっさんをみるような目をした。

ちょうど真ん前の古ぼけた三階建ての寺院の最上階が珈琲テラスになっているのが視界に入った。

「あそこへ行ってお茶でも飲みませんか?」

というわけで、三人を誘ってエレベータのない喫茶店へあがると、テラスでも喫煙はできない。「建物が古いですから火気厳禁です」と店主が苦笑した。

タンカの有名店があるというので、五分ほどあるいて裏手にまわると、イタリアからの観光団がぎっしりと店を占拠している。この店のタンカは世界的にも有名な画家を抱えているらしく、縦60センチ、横120センチほどの仏像や曼荼羅を描いた、色彩の濃いものが西洋人の好みらしい。

イタリアの老人が手にとった大判のタンカを店員に見せて、「これ幾ら?」

「120です」

「えっ、そんなに安いのか」と言って財布からルピーを取り出すと、店員が、

「違います。米ドルです」

120ルピーって、日本円で120円、米ドルだと13000円(当時のレート)。価格感覚が麻痺している。結局、その老人、タンカを買うのを止め、ばつの悪そうに立ち去った。

タンカは100ドル〜300ドルのものが多いが、なかには1000ドル以上のものもあり、小さなサイズのものは20ドル台。なかにダライラマを描いたタンカがあった。

くだんの中国人が言ったのだ。

「この人、だれ?」

さてカトマンズへ満員バスに揺られて(帰りは女子学生が多かった)、カトマンズへ戻り、最大のヒンズー寺院パシュパティナートへ行った。宏大な敷地の中には修業中のサドゥが何人かいる。写真をとっても金を取らない。モノも欲しがらない。意外に愛想が良い。といより達観した段階の瞑想なのだろうか。

猿がたくさんいる公園のまんなかあたりが、火葬場だ。

インドのベナレスと同じ光景が展開されていた。

聖なるガンジスで顔を洗い、歯を磨き、その隣では沐浴し、排泄し、火葬場の遺灰が、ここに一緒に流される。輪廻転生を信じるヒンズー教徒は、遺骨を残さず河に流すのだ。チベット仏教も風葬、鳥葬、火葬が多く、輪廻転生を信じ切っている。三島由紀夫の『豊饒の海』第三巻には、ベナレスの情景が、精密レンズでとらえて記憶したように克明に描かれている。

パスパティナートの火葬場風景を見ておきたかった。

河の砦のような出っ張った場所に遺族があつまって食事をとりながら口数少なく、じっと火葬の終わるのを待つ。遺灰をばさっと河に流し、かれらの葬儀は終わる。

ベナレスでは撮影が禁止されているが、ここでは写真撮影はOKだという。わたしは数十枚かの写真をとった。