東アジア歴史文化研究会のブログ

日本人の素晴らしい伝統と文化を再発見しよう

連載コラム(33)『日本の百霊域(パワースポット) 乃木大将の自刃

東アジア歴史文化研究会

乃木神社鎮座百年祭記念として「明治天皇と乃木大将 大御心をいただきて」という特別展覧会が明治神宮ミュージアムで開催された。令和五年九月二十四日の最終日に間に合った。

まず驚いたのは明治神宮参詣客が朝から夥しいこと、しかも半数以上が外国人である。

展覧会は乃木大将の軍服、恩師金時計、肖像画、勲一等勲章、馬の鞍、書画等だったが、霊感に打たれたように感動があったのは辞世三首(静子夫人の辞世を含む)の色紙だった。

乃木大将の辞世は

「神あがり あがりましぬる 大君の みあとはるかに をろがみまつる」

「うつし世を 神去りましゝ 大君の みあと志たひて 我はゆくなり」

乃木夫人の辞世は

「出でましてかへります日のなしときくけふの御幸に逢ふぞかなしき」

夫妻の像は山口県長府市に、神社は旧乃木邸に建立された乃木神社である。乃木希典は根っからの軍人だが、教養が高かった。それもそのはずで後期「松下村塾」塾生であり、松陰の叔父、玉木文之進の薫陶を受けたからである。

明治九年、玉木文之進は萩の乱で弟子の前原一誠(元参議)が首謀者だった責任をとって自刃した。

西南戦争で乃木は官軍に加わって西郷軍と対峙、軍旗を奪われる失態を演じたことは終生のトラウマとなった。官軍にありながらも、乃木は吉田松陰と西郷隆盛に影響を受けた。とくに松陰の『孫子訳注』に乃木は注釈をつけた私家版を上梓し、明治天皇に内献している。

日露戦争ではふたりの息子が戦死した。しかし乃木は人前で涙を見せなかった。

「水師営」の歌詞は以下の通り。

♪ 「旅順 開城 約成りて 敵の将軍・ステッセル 乃木大将と会見の 所はいずこ水師営。庭に一本棗の木 弾丸あともいちじるしく くずれ残れる民屋に 今ぞ相見る ニ将軍。昨日の敵は今日の友 語る言葉もうちとけて 我は讃えつ かの防備 彼は讃えつ 我が武勇」

乃木神社は乃木邸の跡地に建立され、いまでは乃木会館もあって各種イベントや結婚式場となっている。地名は乃木坂、いまでこそ交通至便、青山と六本木の中間に位置し、地下鉄千代田線が繋がった。

この乃木邸跡地は外苑東通りに面した高台に残り、馬小屋、従者控え室、本邸、庭園がある。小ぶりな公園には緑豊かな木々が生い茂る、あの懐かしき水師営のナツメの木も植えられている。

乃木神社参拝客の多くが、乃木邸に立ち寄る。

乃木邸跡に立つとただならぬ霊気が漂う。戦慄するほどの霊異だ。それもそうだ、明治天皇崩御を聞いて、乃木は参内後、ここで妻とともに正座して自刃した。

その部屋は外階段があって、観覧階段を登ると内部が覘けるようになっている。妻を横に座らせ、端然と皇居遙拝の場所を占め乃木大将は壮烈に自刃して果てた。

殉死は禁止されてから久しかったが、国民は連続する悲報に号泣した。夏目漱石のような合理主義者も哭した。森鴎外はたちまち歴史にヒントをとって小説『興津弥五右衛門の遺書』を書いた。

東京都内にも数多くのパワースポットがあるが、筆者にとって強烈な霊域とは、三島由紀夫と森田必勝が自刃した市谷台の自衛隊東部方面総監室跡と、この乃木邸である。