国際政治学者として世界的に著名なジョン・ミアシャイマー(シカゴ大学教授)は大胆な予測で知られるが、基軸は地政学である。
台湾海峡での戦争は予見しうる限りの近未来には起こらないとミヤシャイマーは香港の『サウスチャイナ・モーニング・ポスト』(10月28日)のインタビュに応じた。
台湾海峡のシナリオについて、アメリカが過去の寛大な政策により中国を発展させたのは愚かだった。外交的に失敗だった。しかし、「中国は米国と戦争できないし、ロシアが軍事大国復活は考えにくい」として次のように述べた。
「米中関係は基本的に競合関係にあり今世紀末まで、米中対立は続行する。中国は経済の行き詰まり、そして国内対立をかかえているため、東アジアでの主導権を握りたい野心を研ぐものの、習近平は米国と戦争は決して望んでいない。根本的に中国の経済パワー増大が軍事大国にしたのであり米国の愚かな外交、ロシア敵視外交は、プーチンを中露同盟に追いやった。中国をこれほどの軍事大国にしたのはアメリカの失策に由来する。米中関係を『ウィンウィン』などというのは絵に描いた餅である。中国人はアメリカ人より論理的で国際情勢にあかるく全てリアルに分析する。中国人が信じるのは力だけ。生き残るにはパワフルでなければならない」
韓国のAPECを利用してのトランプvs習近平首脳会談では中国がレアース規制を一年延長し、米国産大豆の緊急輸入で譲歩、米国は関税適用率を引き下げるなどして、台湾問題には一切言及がなかった。
たしかに台湾海峡に深刻な軍事リスクはあるとしたうえでミヤシャイマー教授は続ける。
「米国は台湾にコミットしているが台湾侵攻の軍事能力を中国軍は保有せず、米国も軍事衝突だけは回避したい。したがって予見しうる近未来に戦争はない」
問題は「トランプが自らを天才だと認識し、専門家の提言を聞き入れず本能で行動していることだ」と辛辣に批判するミヤシャイマーは、「しかしウクライナはトランプひとりで解決出来はしない。ウクライナのNATO加盟は愚か、米国は欧州から静かに手を引くだろうし、欧州の絶望は拡がるだろう」(宮崎註=現実に米軍はルーマニア駐留軍を半減、ドイツからもかなりを削減している)。
「国連は役に立たないが、ないよりはマシであり、米露中英仏が拒否権をもつ以上、国連の限界はすでに露呈している。その国連の限界なかで中国が最大の裨益国である。まさに現代世界は無政府状態にあるといえる」。
国際情勢の舞台裏を冷徹に分析すれば、こういうことなのだろう。
▼『ダボスクラット』って何?
一方、地政学ではなく文化・文明の歴史的見地から世界を俯瞰するとグローバリズムなるものは嘗てのマルクス主義に酷似する妖怪であり、その宣伝機関のダボス会議にそまったお粗末な(フランスのマクロンが典型だが)政治を「ダボスクラット」と名付けたのはルノー・カミュである。
ダボスクラットが獅子吼するグローバリズムなるものは、コミュニズム、ナチズム、ファシズムと何処が違うのか、と問うのがフランスの思想家ルノー・カミュだ。現代のレイモン・アロンか?
カミュの代表的な作品は英語で書かれた『君たちは私たちを置き換えることはできない』(You Will Not Replace US!)である。
紹介する前に筆者が思い出したのは三島由紀夫の予言だった。
「無機質な、からつぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜け目がない、或る経済大国が」。。。
現代日本はまさにこの予言通りになった。文学も音楽も無国籍であり、論壇はマスメディに左翼グローバリストが残存し、朝日新聞はコミー・グローバリズム、日経はダボスクラシー礼賛、読売は拝米保守、産経はリベラル要素を含んだ保守。ところがSNSで展開されている議論は殆どがコンサーバティブなのである。
カミュは言う。
「(フランスのような文化大国には)牢固として伝統、文化があり消えてなくなりはしない。ところがアルジェリア、モロッコなどからの夥しい移民は、フランスの文化には溶け込まず、自分たちの独特なコミュにティを形成し、外国語を喋り、民族衣装を着て、自分たちの神に祈り、食事作法、生活習慣などまるっきりフランスと異なる。多文化と別の倫理を持ち込み、こうした移民が数千万に達して、もとから住む人びとに溶け込む必要はないとしている」(原書より拙訳)
これではフランスも欧州もアフリカの植民地だと慨嘆するカミュは続ける。
「このような多文化共生ではなく多文化の競合と対立は、或る理想を目標とする強力なメカニズムが作りだし、組織化した。その標語は『平等』である。それが「正常化」「標準化」「類似」などの曖昧な用語で粉飾されているが、かれらの唱えるのは「平等」だ」。
そのうえ反対派には沈黙を強要し、歴史は情報と同じような科学でしかなく、それは『選択の問題』だと議論をそらした。
「フランスを求めてきたドゴール主義というアイテンディティは死んだ。しかしヘブライ語が数千年の行方不明の後に突如、甦ったように、『フランスらしさ』がいずれの日にか甦らないということはない」とカミュは予言している。
行間に溢れるのはペシミズムである。
カミュの分析の『フランス』を「日本」に、『アルジェリア』『モロッコ』を『中国』、『米国』に置き換えて読むと、日本の惨状が了解出来ませんか?
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