スマホ世代は、この書物を『神社オタク』と受け取るかも知れない。しかし若者たちが読むアニメには神々が頻繁に出現する。正月には日頃の不精進をわすれて、神社に参詣する。
受験シーズンともなると誰もが、合格祈願に神社へ行く。海外旅行の前にも旅の安全を祈って神社参詣をするだろう。お寺ではない。なぜ神社なのか。
近代思想では宗教を科学と対比させて神道を後進的な退嬰的なものと見做すのだが、近代建築の粋である高層ビルの起工式には神官を呼んで祈りの儀式をおこなう。これを省略したら大工さんはこない。
日本人は意識するとしないとに拘わらず、多くが自然を尊ぶ{シントイスト}(神道信者)なのだ。
さるにても著者の久野潤教授、歴史学に造詣が深いことは知っていたが、神社めぐりで全国の隅々へ。そのフットワークの良さ!
評者(宮崎)も古代の調べ物の取材旅行では殆どが神社、古墳だから全国、相当数の神社には行っているけれども、久野教授に比べると、いやはや、である。
評者にとっての神社めぐりの『愉しみ』は稗史の発見である。とくに古事記、日本書記には書かれていない別の歴史が神社の由来に書かれている。たとえば伊吹山の麓には弐ヶ所、伊夫伎神社がある。これはヤマトタケルが尾張の新妻のもとに太刀をあずけて怪物退治に向かったとする言い伝えを超えて、ヤマトタケルは地元の豪族伊夫伎氏との戦いだったのではないかという異聞に行き着くのだ。太刀を置いたのは平和交渉という伊夫伎氏の謀略工作があったと推定されるが、本筋からはずれるので元にもどす。
久野教授は神社めぐりの動機をこう説かれる。
「悠久の歴史をもつ国家の要は、長年培われた伝統・文化に基づく精神的な連続性です。国防、安全保障における連続性、あるいはそれが断絶しかけていることを象徴的に示すのが神社との関係でしょう」
GHQは信教の自由という美名のもと、自衛隊基地や学校に神社設置を禁止した。神社の儀式へ自衛官が参列できなくした。
しかし艦内神社は健在である。この知られざる艦内神社の詳細を論じたのが本書の特色であり、また巻末には歴史に詳しく、一人で歴史教科書を作成した竹田恒泰氏との特別対談が収録されている。
本書で評者がオヤと思ったのは百済からの亡命王族に対して大和朝廷は丁寧に扱い、彼らの神社建立を支援したという意外な事実だった。
百済滅亡の報に接した天智天皇は日本に亡命していた百済王子をひきたてて百済再建の兵を起こすも白村江の海戦で敗れた。
後詰めだった阿倍比羅夫が二千名をこえる百済王族を収容し、日本での生活を保障した。鬼室福信の一族、鬼室集斯は学識頭に任じられ、明治期には滋賀県の墓碑のある場所に鬼室神社が建立された。
また豊璋王の弟、善光は持統天皇期に「百済王」の姓(かばね)を付与され、河内の交野に祖霊を祀る祠を建立した。
これが百済王神社である。この逸話、本書ではじめて知った。
明治の元勲、西郷隆盛をまつる南洲神社は鹿児島の錦江湾とのぞむ高台に広大な墓地とともにあるが、もうひとりの元勲大久保利通を祀る神社は鹿児島にはなく福島県にある。そのことは知っていて拙著『日本のパワースポット』でも書いたが、なぜ福島県に大久保神社が建立されるに至ったかの経緯も本書ではじめて知った。
日本は大東亜戦争の戦没者慰霊のためサイパンに、テニアンに、あちこちに神社を建立した。
朝鮮では戦後すべて破却された。台湾では殆どが残った。樺太ではソ連兵が面倒くさがって破却せず、いまでもサハリンのユジノサハリンスク(日本時代の豊原)には立派な樺太神社がある。
なるほど本書は神社オタクのレベルではなく、歴史探究書である。
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