東アジア歴史文化研究会のブログ

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ルーズベルトは社会主義者であった

東アジア歴史文化研究会


ルーズベルト大統領と言えば、唯一四選された大統領としてニューディール政策で大恐慌に対抗しそれを成功させ、第二次大戦では連合国の指導者として勝利に導いたというものである。

ところで、ルーズベルトの思想がどんなものであったのか、歴史家の中でも定説をみないが、ルーズベルトは社会主義者であったということである。スターリンを「共産主義者として考えるのは馬鹿げている。彼はただロシアの愛国主義者であるだけだ」と公言していたことも知られ、英国を除く全欧州がソ連の支配下に入ることさえ、認めているのである。

ルーズベルト大統領とハル国務長官のもとには、多くの社会主義者・共産主義者が集まった。MI5(英国保安機関)、MI6(英国秘密情報機関)の調査でもわかるように、ホワイトハウスと国務省では127名のコミュニストが執務にあたっていたといわれる。

ヤルタ協定を演出したアメリカの国連代表部の首席顧問、アルジャー・ヒスは、スターリンのスパイで、ルーズベルトのそばには、妻エレノワのほか、大勢の共産主義者がいた。取り巻きにスパイがいたのではなく、ルーズベルト本人がスターリンのいいなりになる社会主義者のような存在であった。

「ヴェノナ文書」には、ハリー・デクスター・ホワイト(ルーズベルトが信頼するモーゲンソー財務長官の片腕として1941年財務次官補、45年には次官)とロークリン・カリー(中国問題担当の大統領特別補佐官)は、戦後マッカーシーの米国上院政府機能審査小委員会で、ソ連のスパイであったことが判明した。ルーズベルトは二人に重要ポストを与え、彼らも善良な愛国官僚としてふるまっていた。

社会主義者とか、共産主義者という言葉を同時に使っているのは、共産党の社会主義者とドイツのフランクフルト学派の流れの社会主義者を区別しているからである。ナチス政権下のホロコーストを避けてニューヨークにやってきたフランクフルト学派(そのほとんどがユダヤ人)は米国の大学で受け入れられた。ホルクハイマー、マルクーゼなど左翼マルクス主義者を受け入れたが、彼らは「批判理論」などによって現在そのものを批判し、将来の共産主義に備える、二段階革命を構想していた。まさにその時期がルーズベルト大統領の時代であった。

ルーズベルトが将来に革命が起こり、ソ連のようになることを望んでいたことは、ソ連を理想化し、その政策に賛成していたことでもわかる。彼が戦勝国で国際秩序をつくり上げる国際連合にソ連の同意を得る見返りとして、ポーランドやバルト三国をソ連支配下に置くことを許し、ヤルタ秘密協定で満州の権益や南樺太、北方領土を与える約束をしている。スターリンはルーズベルトから数多くの利益を得ているのに、ルーズベルトの方はスターリンから何ひとつ与えられていない。この事実は、ルーズベルト大統領にソ連共産主義が国同士の外交関係以上に理想として見ていたからである。ルーズベルトがソ連よりの社会主義者であることはチャーチルも知っていたのである。

ルーズベルトがユダヤ人の後裔であったことは意外と知られていない。このことが重要なのは、マルクスがユダヤ人であること、ソ連社会主義革命が起きたとき、その共産党中央の三分の二をユダヤ人が占めていた、ということに示唆される。また、彼のブレーンの多くがユダヤ人関係者であったことも知られている。日本の憲法の事実上の草案作成者であるケーディスはユダヤ人法学者の弟子であったことに注目しなければならない。

ルーズベルトはナチスを憎んだが、決してドイツ人を憎んだわけではない。憎んだのは日本人に対してであった。ルーズベルトはドイツではなく、日本18都市への原爆投下命令書の方にだけサインをし、空爆もドイツには工業施設へ限定したのに対し、日本には民間人をも巻き込む無差別爆撃であったことは公然たる事実である。

田中英道著『戦後日本を狂わせたOSS「日本計画」 二段階革命理論と憲法』(展転社)より参照