東アジア歴史文化研究会のブログ

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寛仁親王殿下薨去 66歳 「女系天皇に反対だった」

東アジア歴史文化研究会
Pn2012060601001536ci0003_2三笠宮家の長男で、天皇陛下のいとこにあたる寛仁親王殿下が6月6日午後3時35分、入院先の東京都千代田区の杏雲堂病院で薨去された。66歳、皇位継承順位は第6位であられた。障害者福祉などに心血を注がれる一方、気さくなお人柄で国民から「ヒゲの殿下」と親しまれた。一般のご葬儀にあたる「斂葬(れんそう)の儀」は、東京都文京区の豊島岡墓地で執り行われるとみられる。

寛仁さまは平成3年以降、がんの治療を受け、今年1月にも下咽頭から口腔のがんを切除する手術を受けられた。3月2日にのどの軟骨を切除する手術を受けたが、今月1日、口内から出血がみられた。5日に腎臓や呼吸器系の機能にともない意識レベルも低下し治療が続けられていた。

寛仁さまは昭和21年1月5日、昭和天皇の末弟、三笠宮崇仁(たかひと)親王殿下の長男としてご誕生。学習院大学法学部を経て、戦後、皇族としては初めての海外留学で英オックスフォード大学に学ばれた。

大変なスキー好きとして知られ、スキーを通じて身障者や青少年の福祉などに取り組まれた。

55年11月、故吉田茂元首相の孫にあたる信子さまとご結婚。長女の彬子(あきこ)さまと二女、瑶子(ようこ)さまをもうけられた。麻生太郎元首相は信子さまの実兄。

昭和57年には「社会福祉活動に専念したい」などと皇籍離脱を申し出られたこともあった。平成3年にがんを患った際に病名を公表し、がん告知の議論にも一石を投じられた。

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三笠宮家長男、寛仁親王殿下は、小泉内閣で検討された「女系天皇容認」を含む皇室典範改正に関する論議で、皇族のなかで唯一、女系天皇に反対する考えを明らかにされた。皇族が政治の問題に意見を表明するのは異例のことだった。

「世界に類を見ない我が国固有の歴史と文化と伝統を平成の御世でいとも簡単に変更して良いのかどうか」

「柏朋会」の会報に、「天子様の皇統が貴重な理由は、神話の時代の初代・神武天皇から連綿として一度の例外もなく、『男系』で今上陛下まで続いてきているという厳然たる事実です」と延べ、元皇族の皇籍復帰や、女性皇族に養子を元皇族(男系)から取ることができるようにするなどの具体的な方法をあげて男系相続の道を探ることを提案された。

女系天皇論議は、秋篠宮家に41年ぶりに男子皇族となる悠仁さまが誕生されたことで事実上、白紙に戻されたが、宮内庁関係者の中からは、寛仁さまの発言は「自分が言わねばと、お立場からやむにやまれぬお気持ちでおっしゃったもの」と受け止める声も聞こえた。

18年2月インタビューで、旧宮家の皇籍復帰は国民の理解と支持を受けることは難しいとの質問に、皇太子ご夫妻の長女、敬宮愛子さまが皇位継承者となり「女系天皇の配偶者」が陛下と呼ばれることのほうが違和感があるとご批判。「あらゆる手段を尽くした上でも次の世代が女性ばかりだったという状況になれば、そのときに女帝・女系の議論に入ればいい」と述べられていた。