呉善花著『日本人はなぜ「小さないのち」に感動するのか』(ワック)
呉善花著『日本人はなぜ「小さないのち」に感動するのか』(ワック)
生きとし生けるものの美しさを愛でてきた日本の自然観
ご先祖様いがい拝む習慣風俗儀式のない韓国は日本の生命尊重とは異なる
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本書は来日三十年になる呉善花さんが、日本がいかにすばらしい国であるかをやさしくつづった一種回想録的日本文化論である。
「私は日本へやってきた自分を、なんと幸福なのかと感じています」と、素朴な感動をつづり、日本人のもつ「自然に対する豊かな感受性」への意義を深く追求していることがわかる。
詳細は本書を読んでいただくことにして、評者(宮崎)がおやっと発見した箇所に次の文節がある。日本人と韓国人がなぜ180度も感受性が異なるかの原点はその自然観、宗教観、人生観にあるのだが、具体的には何か? 拓殖大学で比較宗教学も講ずる呉女史ならではのユニークな分析が続く箇所である。
すなわち、「韓国人にとっては、人間の先祖以外のものを拝むのは未開人です。日本人は自然の神様、つまり海の神、木の神、山の神、草の神さまなどに手を合わせて拝みます。そういう八百万の神さまがいるというのなら、それは未開の自然信仰ではないか、というとこなのです」
なるほど、だから韓国の教科書は日本人が未開な民族と教えるわけだ。
「もう一つ、なぜ韓国の教科書が日本を野蛮だと言っているかというと、なんと言っても日本が長らく武士国家だったことが大きい(中略)。武士道が生き方の美学ともなっていますが、韓国では(武士道の美意識は)野蛮な精神性そのものと思われています」。なぜなら韓国李氏朝鮮の「政治権力は日本の武人とは正反対の文人だ」ったからである。
中国でも科挙というエリート制度は武を貴ぶ風習はなかった。だから武士道がわからない。ひたすら軍国主義だと攻撃する、ゆがんだ発想の原点は、そのあたりにありそうで、古代ローマには切腹が名誉だった。英国もフランスも騎士道があった。したがって欧州では日本の武士道は理解できるが中国と韓国ではなぜ理解不能であるかということが納得できた。

生きとし生けるものの美しさを愛でてきた日本の自然観
ご先祖様いがい拝む習慣風俗儀式のない韓国は日本の生命尊重とは異なる
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本書は来日三十年になる呉善花さんが、日本がいかにすばらしい国であるかをやさしくつづった一種回想録的日本文化論である。
「私は日本へやってきた自分を、なんと幸福なのかと感じています」と、素朴な感動をつづり、日本人のもつ「自然に対する豊かな感受性」への意義を深く追求していることがわかる。
詳細は本書を読んでいただくことにして、評者(宮崎)がおやっと発見した箇所に次の文節がある。日本人と韓国人がなぜ180度も感受性が異なるかの原点はその自然観、宗教観、人生観にあるのだが、具体的には何か? 拓殖大学で比較宗教学も講ずる呉女史ならではのユニークな分析が続く箇所である。
すなわち、「韓国人にとっては、人間の先祖以外のものを拝むのは未開人です。日本人は自然の神様、つまり海の神、木の神、山の神、草の神さまなどに手を合わせて拝みます。そういう八百万の神さまがいるというのなら、それは未開の自然信仰ではないか、というとこなのです」
なるほど、だから韓国の教科書は日本人が未開な民族と教えるわけだ。
「もう一つ、なぜ韓国の教科書が日本を野蛮だと言っているかというと、なんと言っても日本が長らく武士国家だったことが大きい(中略)。武士道が生き方の美学ともなっていますが、韓国では(武士道の美意識は)野蛮な精神性そのものと思われています」。なぜなら韓国李氏朝鮮の「政治権力は日本の武人とは正反対の文人だ」ったからである。
中国でも科挙というエリート制度は武を貴ぶ風習はなかった。だから武士道がわからない。ひたすら軍国主義だと攻撃する、ゆがんだ発想の原点は、そのあたりにありそうで、古代ローマには切腹が名誉だった。英国もフランスも騎士道があった。したがって欧州では日本の武士道は理解できるが中国と韓国ではなぜ理解不能であるかということが納得できた。

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