東アジア歴史文化研究会のブログ

日本人の素晴らしい伝統と文化を再発見しよう

訃報 加瀬英明氏

東アジア歴史文化研究会

15日午前五時に永眠。心不全。このところ入退院を繰り返されていたが病院はコロナ対策で面会ができないため心配していた。

思い起こせば半世紀をこえる小生の「兄貴分」だった。

ちょうど50年前、小生が26歳。加瀬さんは36歳。ふたりして、『浪漫』の取材で台湾へ一週間。どこでも歓迎されたが、加瀬さんは童顔なので、小生が兄貴かと言われた(苦笑)。

気があって、すぐに飲み仲間。新宿、赤坂、銀座。氏の『新聞批判入門』は小生が担当した。北野アームスにあった事務所には、アクセスも抜群だったので、しょっちゅう出入りしたが、夕方五時に行くと必ずバーボンの乾杯だった。氏はなにしろパーティが大好き人間、酔うと陽気に軍歌を歌った。若い日々は午前三時頃まで飲んだ。

加瀬さんは福田内閣で首相補佐官となられ、以後八面六臂の外交方面での活躍を本格化、1980年にはフォード大統領、岸信介両氏を日米の代表とする「日米安保条約20周年記念シンポジウム」を主宰されたので、小生もかり出されてホテルに一週間泊まり込み。

それから『日本安全保障研究センター』のボランティア事務局長をやらされた。ヒルトンホテルで毎週のように開催した朝飯勉強会では毎回二、三十人ほどの政治家も加わった。

前後して一緒にアメリカ、韓国、台湾へ何度か行った。氏の紹介でアメリカの要人、多数と知り合った。

となりで加瀬さんの繰り出す洗練された英語を聞いていると、あ、こういう表現をするのかと学ぶこと多く、しかし論語など中国古典にも明るかった。

なお通夜、葬儀は身内だけで行い。お別れの会は後日となる。合掌。

(宮崎正弘)
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加瀬英明氏には東アジア歴史文化研究会で3回講演していただいた。

一回目は「中華の国、中国に未来はあるのか」。開口一番、中国に未来があるのか、というより日本に未来があるのかを考えたほうがいいと、釘を刺されたのが印象的であった。

二回目は「日本人にとって天皇家とは如何なる存在であるのか」。ヒゲの殿下、三笠宮さまと親しく交わりをされておられ、天皇のご存在についていろいろエピソードを交えて語っていただいた。

三回目は「皇位継承と女性宮家問題を考える」。日本の神道の素晴らしさを一神教と対比して語られた。一神教は争いばかりで、ことキリスト教に対して厳しい批判をされたことが特に印象に残っている。クリスチャンがいたら怒りだすのではないかとヒヤヒヤした。

また当ブログに掲載した
戦艦ミズーリ号上での降伏文書調印と戦争犯罪(加瀬英明氏のコラム)
https://blog.goo.ne.jp/kirakiraboshi31/e/8d77e1b8be8e8fc1bff286b0a3e2ce55
は特に思い出深い。

父上である加瀬俊一氏との対談『私の昭和史 昭和が燃えた日』はとても興味深く読んだ。加瀬俊一氏は大東亜戦争に向かう時代から、松岡洋右・東郷茂徳・重光葵など歴代の外務大臣秘書官(勅任官)として活躍された。

永田町にある北野アームスの事務所に何度もうかがい、講演を快く引き受けていただいた。「ソ連が約70年で崩壊した。中国も1949年から70年で崩壊する」とよく語っておられた。中国共産党政権はまだ崩壊してはいないが、懐かしい思い出である。

心よりご冥福をお祈り致します。