東アジア歴史文化研究会のブログ

日本人の素晴らしい伝統と文化を再発見しよう

『石原莞爾の精神病理 満洲合衆国の夢と敗戦後の変節』西村正著(展転社) 天才軍略家といわれた石原莞爾は策謀を得意とした

東アジア歴史文化研究会

その昔、西部邁から相談を受けたことがある。

「テレビで石原莞爾の特集番組をやるんだけど、どう思う?」

評者(宮崎)の回答は「過大評価されているのでは? かれは歴史の主役ではありませんでしたし、胡散臭いところが多い」

庄内藩というのは幕末に稀有な策士、清河八郎を産んだ。また戊辰戦争後は東北列藩同盟の準主役だったにもかかわらず薩摩の西郷隆盛のもとに庄内藩士が通い詰めて『南州遺訓』を編んだほどに熱を入れた。

石原莞爾も旧庄内藩の鶴岡市生まれだ。

晩年の石原莞爾の「空想的平和主義」への変節を掘り下げた本はあまりない。礼賛本が多く、譴責本がすくないうえ、東条英機と比較する著作が多いため、マイナス面が冷却されているからだ。

源田サーカスの異名を取った源田実は、自衛隊票をバックに参議院議員となって、よく議員会館に会いに行った。驚くべし、かれもまた 絶対平和論者になっていた。

旧軍人で節を曲げなかったのは藤原磐市、岩畔豪雄らがいた。

変節というのは信念を曲げて世間の変遷の空気に適応するか、学者なら教師に追従しないと出世できない仕組みがある。「転向」とは異なる。

戦前マルクス主義からの離脱者を、革命幻想の呪縛から離脱できない馬鹿たちが「転向」呼ばわりした。よこしまな考えから正気に戻ったこと、洗脳された脳幹が正常に戻ったことを、かれらは「転向」と表現したのだ。『転向』とはすなわち左翼用語である。林房雄も保田譽重郎も亀井勝一郎も「かれら」から見れば「転向」となる。

石原莞爾の場合は三度、変節していると著者は分析する。

石原莞爾の発想力はスケールが大きく、「特異な世界観、戦略観を持つ軍事思想家であった。関東軍の一参謀の立場で満州事変を策謀し、満州にアメリカ合衆国のような、他民族による理想国家」を樹立しようとは八面六臂で、「この夢に日本全体を引きずり込んだ」。

石原は 「剛胆にして繊細、狷介固陋にして融通無碍、稚気満々にして冷徹無比であり、まったくつかみ所が無い。予言者的な直観力と断定癖、上には厳しく、下には優しい」 などという性格は、これという人物評を描きにくく、また日蓮宗に帰依するという複雑な人物で戦後は「敗戦は神威なり」と言い出す始末だった。

小林秀雄は、とくに石原莞爾を名指ししたわけではないが、こう言った。

「この大戦争は一部の人たちの無知と野心とから起こったか、それさえなければ起こらなかったか。どうも僕にはそんなお目出度い歴史観は持てないよ。僕は歴史の必然性というものをもっと怖ろしいものと考えている。僕は無知だから反省なぞしない。利巧な奴はたんと反省してみるがいいじゃないか」

戦後の変節漢らをばっさりと斬った。

サイコパスでないかとする著者は最終的にこういう。

「なんとも石原莞爾は『平和原理主義的マゾヒスト』になってしまった。宗教者が権力に弾圧されても信仰を捨てず殉教者になることと同一視している。何が何でも憲法9条を守るぞと、憲法記念日にアジる人と同じになったしまった」(279p)

石原莞爾評伝、数あるなかで、本書は特異な分析をなしている。