【突破する日本】ウクライナ情勢で「軍による安全」を理解せよ 軍事の忌避で平和が訪れる?防衛努力は不要と言う知識人 その先にある「圧政と虐殺」想像できず

2022.4/21
ソ連脅威論が高まっていた頃、日本では「白旗と赤旗を掲げてソ連に降伏するしかない」との主張が一定の支持を得ていた。降伏の後に待つのは「圧政と虐殺」であることに想像力が働かなかった。
前回振り返った「関・森嶋論争」から少したった頃、著名な憲法学者が学会のシンポジウムで「半分は冗談ながら」と断りながら、次のように発言した。
「仮に、どこかの国が大軍をわが国に差し向けてきたとしても、その軍隊のメンバーが、日本の自由で積極的な創造作業によって、文化の花咲くありさまを見て、日本の文化に尊敬の念を抱き、ここから学んで帰るものが多いと思うほどになったとすれば、あたかも国費留学生を送りこんできたような結果となるかもしれない。…要は占領軍を文化の虜(とりこ)にし、文化の波に浸らせるような、誇りうる文化を平時から積み重ねておくことこそが、潜水艦や飛行機やミサイルなどを整えるよりほかに、決定的に重要な意味をもつものではなかろうかいうことです」(『ジュリスト』1982年2月1日号)。
東大法学部の小林直樹教授の発言だ。今はウクライナで、かつては満州や樺太・千島列島で住民に虐殺や性的暴行、略奪を行う(行った)ロシア兵(ソ連兵)を、北海道侵攻の際に国費留学生のように迎えるべきであり、防衛努力は必要ないというのだ。これは少なからず共有されていた当時の知識人の認識だったが、現在も大きくは変わっていない。
安全保障の統治には、(1)軍が国民を守る「軍による安全」(2)軍の暴走を防ぐ「軍からの安全」(3)政治の暴走を防ぐ「政治からの安全」―の3つの視点が重要だと、元朝日新聞社主筆の船橋洋一氏は指摘する(細谷雄一編『軍事と政治 日本の選択』文春新書、2019年)。
戦後日本のメディアや学界で支配的だったのは、(2)の「軍からの安全」の発想だ。「統帥権の独立」を理由に政治を壟断した旧軍の苦い記憶と、敗戦後の日本に非武装を求めた憲法9条が人びとからリアリズムの発想を遠ざけてきた。軍事を忌避さえすれば、平和は訪れると思い込んできた。
しかし、今、われわれが日々のウクライナの情勢で見ているのは、紛れもない(1)の「軍による安全」の姿だ。軍事がなければ、政府や国民が戦う意志を持たなければ、ウクライナは直ちにロシアに軍事占領されていた。
「軍による安全」も一国では心許ない。軍事同盟は不可欠だ。集団的自衛権の限定行使を可能にした安保法制を「戦争法」と反対した野党やメディアは、どう落とし前を付ける気か。
■八木秀次(やぎ・ひでつぐ) 1962年、広島県生まれ。早稲田大学法学部卒業、同大学院法学研究科修士課程修了、政治学研究科博士後期課程研究指導認定退学。専攻は憲法学。第2回正論新風賞受賞。高崎経済大学教授などを経て現在、麗澤大学国際学部教授。山本七平賞選考委員など。法務省・法制審議会民法(相続関係)部会委員、内閣官房・教育再生実行会議有識者委員、フジテレビジョン番組審議委員を務めた。著書に『憲法改正がなぜ必要か』(PHPパブリッシング)、『日本国憲法とは何か』『明治憲法の思想』(PHP新書)など多数。
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