東アジア歴史文化研究会のブログ

日本人の素晴らしい伝統と文化を再発見しよう

アメリカ政治のおけるカソリックの浸透 成功の秘訣は団結、友情によるチームワークとするのは日本的だ(宮崎正弘国際情勢)

東アジア歴史文化研究会

歴史家のアーノルド・トインビーが1967年に訪日したおり伊勢神宮に参拝して次の記帳をした。


「ここ聖地にあって、全ての宗教の根源的統一を感じる」(Here,in this holy place、I feel the underying unity of all religions)


トランプ大統領の信仰する会派はプロテスタント系長老会派。ヴァンス副大統領はカトリック、閣僚たちの信仰宗派をみるとヒンズー教も混ざっている。


これら信仰とAIとはいかなる相関関係になるのか?


井上弘貴『アメリカの新右翼』(新潮社)はタイトルが狭窄な印象を抱きかねない。『アメリカの保守思想の新潮流』とすると内容にぴったり、日本の保守陣営にとってはトランプがどうしたこうしたという浅薄なアメリカ論を脇に置いて本格的な思想潮流の変化に関しての論考である。


登場する”思想家”がイーロン・マスク、ピーター・ティール、タッカー・カールソン、JDヴァンス(副大統領)となると、なんだかテクノリバタリアン勢揃いの観ありだが、当該書は、そうした保守思想の新らしい潮流への変化にある背景、とくに彼らに、どのような思想に影響を受けたのか、その地下水脈を述べている。


ここが大事なのである。キーワードはカソリック的価値観の復権である。


ピーター・ティールのスタンフォード大学での恩師はルネ・ジラール教授だった。ティールは基本的にカソリックの宗教的要素を思考に深く取り入れており、もともと熱狂的にトランプを支援したわけではなくときに距離を置いた。


JDヴァンス副大統領がティールの部下だったことは有名だが、(つまり“ペイパル・マフィアの一員だった)、無名のヴァンスをいきなり上院議員に推薦し、トランプを動かして共和党の正式候補とし、ティールは選挙に大金を注ぎ込んだ。上院議員に当選。そして二年も経ずして、こんどはトランプ・ジュニアをくどき、ヴァンスを副大統領候補に担ぎあげた。


このふたりに共通する影響を受けた思想家がいる。パトリック・デニーンである。そして後者デニーンも、ジラールも、ティールも、ヴァンスもカソリックを信仰している。かれらはアメリカ伝統の古典やナショナリズムに懐疑の眼を向ける。カソリック的な価値観を重視し、テクノロジーを積極的に受け入れる。その代表がパトリック・デニーンである。デニーンは『体制変革』という著作でこう述べている。


「堕落した、あるいは堕落しつつあるリベラルな支配階級の、平和的ではあるものの断固として打倒と、ポストリベラルな秩序の創造、その秩序のもとでは、既存の政治の仕組みは残るが、根本的に異なるエートスが、そうした制度や主要な役職や立場をしめる人びとに吹き込まれることになる」(訳文は井上前掲書)。


2016年のトランプの当選はオールドライトの終焉を意味し、伝統的な自由主義の価値観は大きく後退した。


これがトランプ変革の第一歩だった。


クリントン、ブッシュ、オバマ政権に猖獗したネオコンは影響力を失い、所謂「ディープステート」という既存のエリートは焦った。


▼ディープステートは消えてはいない


ディープステートは消えてはいないけれどもメンバーの組み替えが進んでいて、共和党内では非主流派に、民主党のほうに多くのメンバーと思われる人びとがいる。それを象徴したのが2025年11月に催行されたチェイニー元副大統領の葬儀列席者である。ブッシュジュニア元大統領とバイデン前大統領夫妻がならび、隣がカマラ・ハリスとマイク・ペンス前・元副大統領。


トランプは欠席。ディック・チェイニー元副大統領が誰誰と親しかったかが、よくわかる風景だった。


トランプは堂々と左翼の隠れ蓑だったポリコレ(リベラルが一方的に決めた差別用語の禁止)を踏みにじった。リベラルは敗北したのだが、それを認識できなかった民主党上層部は極左の吹きだまりとなっていた。カマラ・ハリス(2024年大統領選民主党候補)は惨敗した。


パトリック・デニーンには『リベラリズムはなぜ失敗したか』(邦訳は原書房)を世に問うた。アメリカや西側先進国の社会的病理や文明の疲弊はリベラル政策では解決出来ないのであり、むしろリベラリズムを放棄し、個人の自立が重要で、そのために徳の復活を力説し、共同体の復権を求めた。


ピーター・ティールがのべているように成功の秘訣は団結、友情によるチームワークだとする。まさにカソリック的な価値にある。テクノリバタリアンが合意するかのように日本に憬れを抱くのは、その団結する力である。


反中政策の考え方にトランプとティールには齟齬がある。


トランプの反中国政策なるものは「経済と軍事の競争関係に依拠するものであり、トランプの下ではすべては取引次第となる」。ところが「ティールの反中主義は、単なる中国脅威論ではない。(中略)。ティールの反中主義の背後には、独特なキリスト教理解に根ざした世界把握が隠れている」とデニーンは言う。


▼フランス文化を破壊し、ドイツは別の国になって、アメリカは気がついて不法移民排斥を強行した 


トランプはすでに50万人の不法移民を強制送還し、希望者には1000ドルと帰国の航空券をさしだすとしたところ、200万人が自主的にアメリカをさった。


この多文化共生は独自の文化を破壊するとする懸念を体系化したのはフランスの思想家ルノー・カミュである。


「長く共有された歴史や文化を、同じように切望してくれる者たちは、ある人びとの輪のなかに同じように入ることができる。しかし、自分たちはあくまでも自分たちのままであるという人びとは、他の人びとの輪のなかに入ることはできない。かれらがしようとしているのは征服であり、元の人びとに置き換わろうとしているのである」


このポイントを著者の井上教授は次のように解説する。


「『大いなる文化の剥奪』は、教養ある階級の文化が大衆文化によって駆逐されていく過程であり、それとの連動で、文化が文化産業によって置き換えられる過程である」 


まさに日本のいまの惨状に当てはまる。


「前提にあるのは、民主主義の普及であり、とくにあらゆる領域にまで平等がいきわたることで、優越ということが許容されなくなる全的な民主主義が拡大している」


このことをカミュは『ハイパー民主主義』と名付けた。ルノー・カミュは『君たちはわれわれを置き換えることは出来ない』という著作の中で、これは移民にかぎらず広く一般的な現代社会での価値観の置換、転倒、倒錯におきかえられてしまった。すなわち「模倣され代替され、さらには模造されることで、本物は紛い物に取り替えられていく」と警鐘を乱打した。


この現象はフランス文化を破壊し、ドイツは別の国になって、アメリカは気がついて不法移民排斥を強行した。不法滞在の外国人タウンがそこかしこに形成され、日本の水源地や基地周辺、はてはタワマンをまるごと購入する不気味な外国人の動きに対して、何もしない日本は、いずれ民主主義の根幹を脅かされることになるかもしれない。

 移民に関してアメリカの真保守主義はそれほど寛容ではない。

そもそも「多文化共生など成功した試しはない」(西尾幹二)。


▼静謐な日本文化への憬れ


彼らの多くに共通する特徴がある。日本に憬れを抱いていることだ。


マスクは家族のお忍び旅行は日本で、ロボットに日本人は愛玩用も開発したことに注目し「鉄腕アトム」「ドラえもん」「アラレちゃん」を称賛した。殺人兵器としてのロボットに熱中する中国人との討論でこの意見を開陳した。


中国のロボットは「産業目的より軍事ロボットの量産だ」とマスクは指摘した。この場合のロボットは人間のかたちをしていないものを含む。猟犬ロボットのうえに機関銃が搭載されていたり、さしずめドローンは爆弾を積んで目標を正確に攻撃する、AI搭載型爆撃ロボットと言える。愛玩ロボットなど中国共産党の発想にはない。


ロボティックス開発競争では産業ロボットでは日本が首位、戦争ロボットでは米・中、とくにドローンでは“量産”という意味に於いて中国が世界一である。工場のFA(ファクトリー・オートメーション)工程にロボットを導入したのは日本が最初だった。EUや米国は職場が奪われるとして労組が反対しため大幅に遅れ、それが競争力の低下に繋がった。


労組は効率生産、省力化という企業の合理化に反対して、既得権益にしがみついた。その一方で賃上げ要求のためにストライキをおこなってきた。総合的に企業競争力を弱め、操業短縮、大量のレイオフへつながる。米国のラストベルトは近代化に背を向けた結果おきたことである。ストライキをやると公安がとんでくる国ではノルマをこなす以外には労働者は何もしない。創意工夫に情熱を傾けない。ひたすら生産目標達成のみに努力する工場では革新的なイノベーションは望み薄なのである。


ザッカーバークは柔道に凝っている。オラクルのエリソンは京都南禅寺に別荘と日本庭園を立てた。マイクロソフトのビルゲーツも軽井沢の別荘には檜風呂を特注した。ピーター・ティールは、何回か来日し日本の友人も多い。


アップルの創業者だったジョブスは禅に取り組んだ。レヴィ・ストロースは宮崎県青島のウガヤフキアエズをまつる神社へもうでて、神話の世界が現実のものかとおもったほど美しかったと言い残している(『月の裏側』)。


それを聞いていた日本の学者たちは西洋思想に染まっている人が多く、キョトンとしていたとか。西洋は論理的にわりきれない世界とは別物という考え方に傾くから異物を寛容に受け入れない。


レヴィ・ストロースが挙げた日本の神秘的な独創性とは三つ。


「第一に外国文化が伝来しても、一神教のように排撃しないで、完全に消化して取り組んだ後、日本伝統の高次元の”編集能力”にある。たとえば、日本は漢字を輸入して溶かし込んだ後にひらかな、片仮名を発明し独創的な芸術的な日本語を完成したこと。つまり中華文明を超えたのです。


第二に神話が現在も日本社会の隅々で生きていて古代の神々との交流があり、神話と堅く有機的に結びついている。これは西洋文明のようにガラスケースに入った屍体ではありません。


第三に縄文の精神。西洋が捨て去った古代、ピラミッドの影さえなかった時代に日本では土器が創られ、芸術としての土偶をつくり祭器に用いて祈り、戦争をしない平和な時代が一万年以上も続いたという奇跡。居住地は城壁のない、武器を創らなかった文明だった。自然と共存し人々は天と地への祈り、霊性の文明を構築していた。これらを日本人は誇りとすべし」


テクノリバタリアンたちがそこまでの精神性、悟りの世界に憧れているのか、まだエキゾティック趣味、独自的な文化への憬れだけのレベルかは分からない。AIが進歩して効率化が進み、人間がその判断をAIに委ねるというような、情緒が理解できない機械が人間を支配する時代がくるかもしれない。


そんなおり日本文化に磁石のように強く惹かれるのは、矛盾と相克、愛憎、論理か非論理か、科学的でないものを排斥するという二元論の西洋から、その殺伐な空気に支配されていない日本の合意重視、他人への忖度と思いやり、AIが人間を超えるスーパーインテリジェンスを持つかも知れないという先端技術の担い手たちは、日本の思想を理解しようとしているのである。