番頭政治が解散に打って出ようとするが 永田町の猟官運動、政治の劣化。国の運命を託すわけにはいかない(宮崎正弘国際情勢解題)

あれほどの大殺戮をやってのけたのに、毛沢東は中国史の英雄である。
西洋でもアレキサンダー、ネブカドネザル、シーザー、そして近世ではナポレオン。ロシアではピョートル、エカテリーナ女帝。皆、英雄ですね。そしてスターリンも。
ところが日本での英雄はみな悲劇の主人公になる。
ヤマトタケル、和気清麻呂、菅原道真、源義経、北畠顕家、楠正成、大塩平八郎、吉田松陰、西?隆盛、特許隊員。
軍人の英雄は乃木、東郷、児玉、廣瀬と神社に祀られているが、山本五十六はない。
さて本当の改革を断行し、英雄と祭られるべき人々。たとえば源頼朝、足利尊氏、明智光秀、大久保利通らの名が浮かぶが、これらの日本人の評価は悪党に近い。
リーダーとは国民を統合し、民族的アイデンティティの価値観や伝統を尊びつつ、将来のヴィジョンを指し示し、国民を率いる統率力をもち、カリスマ性がある。信念のために戦う姿勢をみて、皆がついていこうと思う人物である。
小林秀雄は、石原慎太郎が政治家を目ざすとしたときに、「政治家の価値とは、まわりに何人が、その人のために死ねるか」によって決まるという意味のことを言った。
明治維新以後、日清・日露戦争を戦い抜いてきたわが国は国民精神とリーダーの目論見とが軌を一にしていた。戦後、岸は政治生命を駆けて不平等条約の改定(安保条約改訂)に持ち込み、これは小村寿太郎の不平等条約撤廃に相当する成果である。
ところが、以後、沖縄返還の佐藤栄作あたりから「自由と民主主義による福祉国家の実現」が国家目標となり、政治は矮小化した。
中曽根は就任早々に「わたしの政権中は憲法改正はない」と過去の主張をしまい込んだ。爾後、故郷創生とかの大番頭は竹下、アンパンマン橋本、宇宙人、スッカラカンと続き、憲法改正を前面に出す安倍晋三をまたねばならなかった。
戦後レジュームの克服をとなえるや、戦後体制に安住してきた朝日新聞などはフェイクにつぐフェイクをでっち上げ、とうとう安倍を引きずり降ろした。
世襲議員は国家百年の計に関心がなく、まるで何も決められないでおろおろした徳川幕府末期の幕閣とそっくりである。
あるじなき商店は、番頭がしばし采配する。
しばらく日本政治は番頭政治となり、多くは期待できそうにない。ところが、番頭政治が解散に打って出ようというのだから、永田町の猟官運動、政治の劣化。国の運命を託すわけにはいかないのではないか。
このブログへのコメントは muragonにログインするか、
SNSアカウントを使用してください。