『JFK暗殺60年 機密文書と映像・映画で解く真相』瀬戸川宗太著(ワニブックス) JFK暗殺は軍産共同体とCIAの仕業だったか? 陰謀論に基づいた推理小説的な類書は掃いてすれるほど出たが

戦後の謎の事件を松本清張はすべてアメリカの陰謀だったと言った。牽強付会の推理。今日、殆どが否定された。
ケネディア暗殺は軍産共同体というディープ・ステートが、CIA、FBIと組んで、メディアを巻き込み、最初からバイアスのかかった結論があった。いや、オズワルド単独犯にこじつけなければならないアメリカの政治状況があった。
オリバーストンの映画『JFK』も、この妖しげな論理のもとに組み立てられたが、あの映画には幾分かのヒントがちゃんと潜んでいたと著者は指摘する。
この本の新しさはドキュメント仕立てというより映像と映画評論のアングルから、JFK暗殺の謎解きに挑んだ、そのアングルの独自性であろう。
いや、映像によって、これまで封印されてきた真実が鮮明にわかったのだ。それこそ映像の証拠、しかし、これらをウォーレン報告書は無視したか、軽視した。
本書はJFK暗殺事件ばかりか、その後のウォーターゲート事件によるニクソン失脚という陰謀、安倍晋三暗殺までをカバーするから対象となる暗殺事件、クーデターなども含め、その範囲が広い。
安倍暗殺の真相はメディアがはぐらかして統一教会問題にすり替えた。
▼ダラスへ行くとケネディ暗殺ツアーがある
読みながら思い出すことが脳裡に浮かんでは消え浮かんでは消えた。事件から三十年後だったが、評者(宮崎)もひとりでダラスを訪れたことがある。
狙撃現場といわれて教科書倉庫、別方向から致命傷となった狙撃手がいたという小高い丘、オズワルトが捕まった映画館などが『観光ツアー』のコースとなって、ホテルに送迎バスがあった。 所謂「ケネディツアー」バス!(現在もあるのか、どうかは知らない)。
行く先々の現場でバスに同乗したアメリカ人老若男女が侃々諤々の議論を展開し、そのつど、バスの出発が遅れた。事件から長い時間を経過してもアメリカ人の真相究明は続いていたのだ。
ノーマン・メイラーが『オズワルド』を書いて、直後に米国の書店ですぐに買ったが、ツンドクのまま、邦訳がでたか、どうかも知らないままだった。事件は風化した。
ウォーレン報告書がオズワルド単独犯とし、大事な事実を隠蔽した。このため、逆に流布したのがCIA、FBIがからみ、ベトナム戦争を収めようとしたケネディと戦争継続で潤うという、ディープ・ステートの軍産共同体が情報機関と仕組んで、オズワルドを最初から犯人に仕立てていたのだとする陰謀論が主流だった。
別流にマフィアの関与説がいわれたのも、オズワルド射殺犯のルビーがマフィアがらみであり、またJFKの父親もシカゴのマフィアと深い関係があった。しかし推理だけの飛躍で、その後マフィア説は消えた。
従来の推理は間違いだったと本書は指摘する。
機密文書の多くが公開され、JFKもの、ドキュメンタリー映画が作られた。
とくにオリバーストンの映画『JFK』は反応があまりに大きかったため、映画公開の翌年に「JFK大統領暗殺記録収集法」が制定され、25年後の2017年10月26日に『非公開文書』の2891件が公開されるにいたる。
本書は、この公開された真実をベースに最新情報をあつめた。
真犯人は誰か?
ケネディを恨んでいたのはカストロとフルシチョフだった。オズワルトはソ連との二重スパイと一緒にメキシコでKGB工作員と会った。亡命キューバ人の軍事演習場に、オズワルドが長期に滞在した証拠がでた。
つまり真犯人は歴然としているが、ソ連との核戦争をおそれた米国のエスタブリッシュメントが、真相を隠蔽したという推論である。
『FBI長官フーバーは、オズワルド一人の犯行によって総てを終わらせるよう、全国のFBI組織へ指示を徹底させていた。(中略)ソ連・キューバが暗殺に拘わっていたのを、フーバー自身がいち早く気付いていたからではないか』(30p)
しかし真相は藪の中、である。
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■映像はすべてを語っていた
■JFK暗殺から60年、アメリカ史そのものを問う!
■なぜアメリカの大統領暗殺の真相を隠さねばならなかったのか?
文書公開で浮上した驚愕の真実
JFK暗殺陰謀論の歴史的意義
オリヴァー・ストーンの『JFK』公開の意義
元CIA職員ロバート(ボブ)・ベアによる新証拠発見
カストロと亡命キューバ人の暗躍
オズワルドの背景にソ連・キューバの謀略
米ソの全面戦争に発展する可能性があった!?
新しいマフィア暗殺説の登場とキューバとの繋がり
ヴェノナ文書が明かす、国際共産主義の陰謀
日本の左翼マスコミが軍産複合体説を報じる理由
魚雷艇艦長時代とその映画化の意味
なぜマスコミはアメリカの不都合な話を報じないのか
安倍元首相暗殺が酷似しているのは偶然ではない
ケネディ大統領が暗殺された時、私はまだ小学校五年生だった。今から約六〇年前の出来事だが、母親の「ケネディ大統領が殺されたわよ」という声で、朝、眼がさめたのをよく覚えている。暗殺の第一報は、偶然にも日米のテレビ衛星放送開始と重なっていた。この大事件は、私の少年時代の思い出と深く結びついているため、本書の出版は、私にとっても極めて重要な意味をもつ。
少年期が、人間形成にかけがえのないものだけに、ケネディ暗殺の真相を追求するのは、過去の真実を知るだけでなく、人生にとって貴重な日々の意味を考え直す作業を伴う。悲劇が起きた一九六三年前後の雰囲気は、今でもありありと脳裏に焼き付いている。(中略)本書は、一九六三年一一月二二日のダラスでの悲劇が、今日における歴史的意義を映画やドキュメンタリー作品を基に明らかにしたものだ。執筆しながら、再認識したのは、映画、映像のもつ絶大な力、そしてケネディ暗殺は、決して過去の出来事などではなく、現代に生きる我々の将来と固く結びついていることに他ならない。(本文より)
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