日米戦争を策謀したのは誰だ(その3)
(承前)
● 西進して大東亜戦争の陸軍と東進して太平洋戦争を主張する永野・山本:昭和17年3月の戦略バトル
林千勝著祥伝社新書「日米開戦 陸軍の勝算」
「真珠湾攻撃を強行したことにより日本の戦略の半分以上が毀損された。だが陸軍はそれでも西進しインド洋の制海権を抑え、イギリスの輸送路を遮断しイギリスのアジアでの植民地を封鎖陥落すれば日本の勝ち目はあるという戦略であったが、それを徹底的に潰し日本を太平洋戦争に引き摺り込んだのが永野と山本だった」(日本の攻撃によりイギリスはインド洋の制海権を失いつつあった)
「今後採るべき戦争指導の大綱」昭和17年3月7日第92回大本営政府連絡会議決定
1 英を屈服し米の戦意を喪失せしむる為、引続き既得の戦果を拡充して長期腐敗の攻勢態勢を整えつつ機を見て積極的の方策を講ず
本来の「腹案」に無かったこの下線部分を永野と山本が無理やり追加させ、それの拡大解釈(東進して太平洋戦争)を行った。
● 陸軍参謀本部第一部長田中新一中将回想録:(要旨)
陸軍の主張は・・・長期不敗の防戦態勢を整えること。その為、太平洋正面において今後危険な大規模な進攻作戦は抑制し、陸海空戦力を培養して大東亜共栄圏における長期的建設促進を優先。この間インド洋地域を重視し、独伊の作戦と呼応し機を見てインド西亜打通作戦を完遂し戦争終末促進に努めようとした。
一方海軍の主張は大東亜戦争の主作戦は終始一貫太平洋正面にあるとの立場に立ち(そうは言ってこなかったのに)、戦争終結の道は一に米国の戦意を喪失させるにあるとして、太平洋正面における待ち伏せ戦略ではなく積極的に米国やハワイ、豪州を攻略が強調された。(ミッドウェー海戦を手始めに)
● 陸軍参謀本部第一部長田中新一中将の日誌:(要旨)
昭和17年3月8日(上記大綱決定の翌日):戦争指導は恐るべき転換を迎えるかもしれない。海軍の太平洋攻勢作戦が戦争指導の主催者になる。
3月10日:太平洋の積極作戦をやれば国力速成の根幹が揺らぐ。不敗態勢の建設を第一義とする要あり。大東亜戦争指導は緒戦の終了と共に岐路に立てり。印度・西亜打通の重視
● 4月15日海軍決定 第二段作戦 (従来は大本営政府連絡会議で決定していた戦略を海軍が勝手に決めてしまった)
1 インド洋のイギリス艦隊を撃滅、セイロンを攻略しイギリス・インド間を遮断し独伊との連携を確保
2 フィジ・ーサモア諸島、ニューカレドニア島を攻略して米豪間の交通路を遮断し、できれば豪州攻略。
3 ミッドウェー島を攻略し、アリューシャン列島の作戦基地を作戦基地を破壊又は攻略してアメリカの作戦企図を封止。
4 ハワイの外郭基地を攻略しアメリカ艦隊に決戦を強要する。状況が許せば陸軍と協力してハワイを攻略する。
林千勝:「永野と山本が東進戦略を掲げ太平洋を主戦場にしアメリカに決戦を強要するという従来計画されていなかった戦略(ミッドウェー開戦、機を見て豪州攻略)をまたもや強行しようとした。この時点で大日本帝国が勝利する可能性は殆どなくなり破滅に向かうことになったと思う。チャーチルとスターリンが恐れていたのは日本軍が西進し中近東に向かい、エジプト経由、コーカサス経由で中近東に向かうドイツ軍と日本軍が繋がること。そうなれば地政学的に彼らの覇権が失われると恐れていた。地球規模で見た場合、太平洋などは構想外だった。永野と山本は日本の西進戦略を潰し、しかも日米決戦まで言い出し、チャーチルとスターリンを助けまるで大日本帝国が敗戦するように戦略を立てたかのようだ。」
林千勝:「永野と山本が東進戦略を掲げ太平洋を主戦場にしアメリ
● チャーチル回顧録:ルーズベルト大統領に対し「日本が西進して中東をドイツと共に繋がって仕舞えばイギリスは破滅してしまう懸念がある。日本を東に誘き寄せて欲しい」ルーズベルトからチャーチルへの返事「現段階では具体的には言えないが、その方策は立ててある」昭和17年3~4月の記録
(続く)
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