「外交も戦争も全て情報戦によって決まる-コミンテルンと昭和史の真相」⑥中国共産党の秘密工作はコミンテルンを凌駕し
「外交も戦争も全て情報戦によって決まる-コミンテルンと昭和史の真相」
⑥中国共産党の秘密工作はコミンテルンを凌駕していた
このように、中国共産党の国際的秘密工作ネットワークと結び付いていたのがスメドレー、ラティモア、セオドア・ホワイトであり、コミンテルンと結び付いていたのがハリー・ホワイト、ロークリン・カリー、そしてハーバード・ノーマンであると分類してもよいだろう。ところで、「チナミンテルン」と「コミンテルン」という二つの赤色国際ネットワークの関係は、現在に繋がる重要な意味を持っている。モスクワは、第二次大戦末期には明らかに、東アジアにおける国際共産主義ネットワークのイニシアティブを中共に奪われていたのである。
毛沢東が戦後、スターリンの意向を無視して国共内戦に踏み切ったこともその証左であるが、アメリカの財務省や農務省に入り込んでいたコミンテルン工作員らが、50年代の「赤狩り」の時代、発覚寸前に中共に逃げているということからも分かる。アグネス・スメドレーも死後は全ての遺産と遺灰を北京に送ってくれと遺言していた。1930年代から、もともと「コミンテルン」系列だった人間が「チナミンテルン」に吸い寄せられているのである。それほど、中共の国際工作ネットワークは、ソ連を凌駕していたのである。
明治の元老、西園寺公望の孫である公一は、近衛内閣のブレーンであったが、ゾルゲ事件に連座して投獄され「懲役1年6月、執行猶予2年)、戦後復権して参議院議員に。その後1958年、北京に「移住」して日中国交回復の旗頭になり、「人民友好使者」の称号を与えられている。また戦後の日本共産党幹部だった伊藤律や徳田球一が占領下でマッカーサーに追われて日本を脱出した際、逃亡先はソ連ではなくやはり北京だった。
昭和27年に札幌市内で現職警官が射殺された白鳥事件に関与したとされる日共党員らも中国に渡っていた。近いところでは、平成14年に逮捕された日本赤軍最高幹部の重信房子も日本に極秘帰国したのち、北京との間を頻繁に往復していたことが明らかになっている。北京のネットワークは戦後も戦前も変わらず世界中に張りめぐらされていて、日本の国内にも深いパイプが残っているということを示唆している。
今日なお共産党一党独裁を維持し、天安門事件に対する制裁をすり抜けて、卓抜な外交手法で世界の資本を引きつけ、そして「冷戦は終わった」といいながら歴史問題でブラックプロパガンダを展開して日本国内の分断、さらには日米の分断を謀る中国共産党の言動が、いかに欺瞞に満ちたものかを認識し、中国の仕掛ける「歴史問題」という名の外交・情報戦に対処しなければ、日本は単なる敗戦にとどまらず、いよいよ国家としての存立が危ぶまれることになりかねない。
この点で日本にとっての追い風は、昨年春、中国で反日デモの嵐が吹き荒れた際に、アメリカのワシントン・ポストやロサンゼルス・タイムス、ウオールストリート・ジャーナルの各紙や、イギリス誌「エコノミスト」など欧米有力メディアが、中国こそ歴史認識を見直すべきだという論調を展開したことである。
そこで問題とされた中国の歴史認識は、文化大革命や大躍進といった戦後の中国国内の問題についてであり、第二次世界大戦の話にまでは遡っていない。またアメリカが「戦勝国史観」から脱却するには、なお時間がかかるであろうが、日本は例えば「南京大虐殺」が中国のデッチ上げたブラックプロパガンダに過ぎないことを実証的研究によってアピールし、中国の主張する「歴史観」の不当性を粘り強くかつ戦略的に世界に訴えていく必要があるであろう。
冷戦が終わっていないということは、単に共産主義国家が残っているという意味ではない。「改革・開放」を称する裏で、謀略や秘密工作という手法で他国を、そして世界を支配しようとする覇権主義を本質とする共産主義運動が残っている限り、日中関係も含めて中国をめぐる国際情勢では、冷戦は決して終わっていないということなのである。
⑥中国共産党の秘密工作はコミンテルンを凌駕していた
このように、中国共産党の国際的秘密工作ネットワークと結び付いていたのがスメドレー、ラティモア、セオドア・ホワイトであり、コミンテルンと結び付いていたのがハリー・ホワイト、ロークリン・カリー、そしてハーバード・ノーマンであると分類してもよいだろう。ところで、「チナミンテルン」と「コミンテルン」という二つの赤色国際ネットワークの関係は、現在に繋がる重要な意味を持っている。モスクワは、第二次大戦末期には明らかに、東アジアにおける国際共産主義ネットワークのイニシアティブを中共に奪われていたのである。
毛沢東が戦後、スターリンの意向を無視して国共内戦に踏み切ったこともその証左であるが、アメリカの財務省や農務省に入り込んでいたコミンテルン工作員らが、50年代の「赤狩り」の時代、発覚寸前に中共に逃げているということからも分かる。アグネス・スメドレーも死後は全ての遺産と遺灰を北京に送ってくれと遺言していた。1930年代から、もともと「コミンテルン」系列だった人間が「チナミンテルン」に吸い寄せられているのである。それほど、中共の国際工作ネットワークは、ソ連を凌駕していたのである。
明治の元老、西園寺公望の孫である公一は、近衛内閣のブレーンであったが、ゾルゲ事件に連座して投獄され「懲役1年6月、執行猶予2年)、戦後復権して参議院議員に。その後1958年、北京に「移住」して日中国交回復の旗頭になり、「人民友好使者」の称号を与えられている。また戦後の日本共産党幹部だった伊藤律や徳田球一が占領下でマッカーサーに追われて日本を脱出した際、逃亡先はソ連ではなくやはり北京だった。
昭和27年に札幌市内で現職警官が射殺された白鳥事件に関与したとされる日共党員らも中国に渡っていた。近いところでは、平成14年に逮捕された日本赤軍最高幹部の重信房子も日本に極秘帰国したのち、北京との間を頻繁に往復していたことが明らかになっている。北京のネットワークは戦後も戦前も変わらず世界中に張りめぐらされていて、日本の国内にも深いパイプが残っているということを示唆している。
今日なお共産党一党独裁を維持し、天安門事件に対する制裁をすり抜けて、卓抜な外交手法で世界の資本を引きつけ、そして「冷戦は終わった」といいながら歴史問題でブラックプロパガンダを展開して日本国内の分断、さらには日米の分断を謀る中国共産党の言動が、いかに欺瞞に満ちたものかを認識し、中国の仕掛ける「歴史問題」という名の外交・情報戦に対処しなければ、日本は単なる敗戦にとどまらず、いよいよ国家としての存立が危ぶまれることになりかねない。
この点で日本にとっての追い風は、昨年春、中国で反日デモの嵐が吹き荒れた際に、アメリカのワシントン・ポストやロサンゼルス・タイムス、ウオールストリート・ジャーナルの各紙や、イギリス誌「エコノミスト」など欧米有力メディアが、中国こそ歴史認識を見直すべきだという論調を展開したことである。
そこで問題とされた中国の歴史認識は、文化大革命や大躍進といった戦後の中国国内の問題についてであり、第二次世界大戦の話にまでは遡っていない。またアメリカが「戦勝国史観」から脱却するには、なお時間がかかるであろうが、日本は例えば「南京大虐殺」が中国のデッチ上げたブラックプロパガンダに過ぎないことを実証的研究によってアピールし、中国の主張する「歴史観」の不当性を粘り強くかつ戦略的に世界に訴えていく必要があるであろう。
冷戦が終わっていないということは、単に共産主義国家が残っているという意味ではない。「改革・開放」を称する裏で、謀略や秘密工作という手法で他国を、そして世界を支配しようとする覇権主義を本質とする共産主義運動が残っている限り、日中関係も含めて中国をめぐる国際情勢では、冷戦は決して終わっていないということなのである。
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