東アジア歴史文化研究会のブログ

日本人の素晴らしい伝統と文化を再発見しよう

ドキュメンタリー映画「東京裁判」をプロデュースしたのは僧侶であった

東アジア歴史文化研究会
ドキュメンタリー映画東京裁判をプロデュースしたのは僧侶であった

Dvd先日、第80回目の記念すべき研究会で講演をしていただいた渡辺利夫先生(拓殖大学学長)にお礼を申し上げるため大学にうかがいました。拓殖大学は茗荷谷駅から歩いて5分のところにあり、その周辺には貞静学園、跡見学園、筑波大付属、お茶の水女子大など有名な学校が隣接しています。渡辺先生にお礼を申し上げ、ひとときの交わりをして大学の門を出たとき、ちょうど坂の下にお寺が見えました。懐かしさが込み上げ、早々お寺に足を運びました。そのお寺は座禅堂としても、また「縛られ地蔵」としても有名な曹洞宗林泉寺です。第8回目の東アジア歴史文化研究会(1999年4月21日)で講演をしていただいたのが、その曹洞宗林泉寺江田和雄住職でした。

今から12年前の研究会となりますが、『ドキュメンタリー映画「東京裁判」とその裏面史』のテーマでした。1983年に制作されたドキュメンタリー映画「東京裁判」は、制作は講談社、監督は小林正樹となっていますが、実はこの映画制作を手がけたのは江田住職であったわけです。アメリカのペンタゴン、その他ありとあらゆるところから戦前、戦中、戦後の映像フィルムを収集し、ドキュメンタリーで歴史の真実を描き出したい、そしてそれを後世に残したいと思ってプロデュースされたそうです。しかし、映画制作には相当の資金が必要であり、それなりのステイタスを与えなければ多くの方々に鑑賞していただくことはできません。一人の住職の力では到底制作を続けることができず、やむなく江田住職は講談社に版権を譲り、映画制作をお願いしたそうです。

戦後30数年、高度成長を遂げてやっと先進国の仲間入りした1983年に、この映画がこの世に誕生しました。私は故荻昌浩さんの月曜ロードショーで終戦記念日にこの「東京裁判」が放映されていたのを録画していました。しかし、当時あまり関心がなかったので、ずっとダンボールの中に眠っていました。1991年、江田住職との不思議な運命のめぐり合わせ、出会いによって、初めてその映画を本格的に鑑賞し、私の歴史観は大きく転換することとなりました。戦後、日本でも、連合国でも、もっとも嫌われた人物、陸軍大将東條英機に対する認識もガラガラと変化していきました。

当時、私の東條英機についてのイメージは最悪でした。むしろ東條と敵対関係にあったとされている石原莞爾の方が好きでした。そのときから「東京裁判」を繰り返し何度も見ました。江田住職による東京裁判の視点は、最終的にインドのパール判事の判決内容にあったと思います。しかし、住職は思想的にバランスをとって編集されたようで、右も左も、特に共産党の内容までのせておられ、自衛のための戦争であったのか、侵略戦争であったのか、観る人に考えさせるようになっています。

しかし、後になって一つだけ違和感を感じたところがあります。それはシナ事変に対して日本の侵略性の強調でした。特に「南京事件」に対しては証言台に立った証言をそのまま信じておられるところがあり、虐殺はあったと私にはっきり主張しておられました。最近の南京事件の分析は、かなりのところまで検証がすすんでいます。大虐殺説は朝日新聞ですら虚構だとしています。秦郁彦氏の4万人説の信憑性さえ今は疑問視されており、虐殺はほとんどなかった、に集約されつつあります。(南京事件の映像は中国国民党時代の映画から引用されており、この部分はドキュメンタリーではありません。残念ながら。)

映画を観て衝撃を感じたのは、昨日まで敵国であったアメリカ人の弁護人が命がけで日本人被告を弁護している姿でした。ブレイクニー弁護人にしても、ローガン弁護人にしても本気で弁護する映像は日本人の心を打つものがありました。その裁判の息づかいが生き生きと描かれています。

そして、最大の山場は、キーナン主席検察官と証言台に立つ東條英機との対決場面です。法廷の人々が固唾を呑んで見守るなか、東條英機は堂々と威厳をもって答弁していきます。キーナンの脅しに近い尋問をものともせず答弁する姿は今までのイメージを一変しました。 そして、天皇に戦争責任が及ばないように注意深く答弁し、自分自らすべての責任を負ういさぎよさに心から感銘を覚えました。武士道精神を垣間見る思いでした。皆様も機会がありましたら、ドキュメンタリー映画「東京裁判」をご覧になっていただきたいと思います。

ただこの映画が4時間40分の長編であるので、鑑賞するのに本腰入れて見なければならないことです。江田住職は6時間でも8時間でもよかったのだが、短くしなければ劇場版にならないので、断腸の思いでカットしたと言っておられました。それでも4時間40分です。

昭和21年から2年数ヶ月かけて裁判された市ヶ谷の法廷は、同じ敷地の中に移築され、昔の姿を現在もとどめています。皆様、市ヶ谷の防衛省に行く機会がありましたら、東京裁判が行なわれた法廷(記念館)に足を運んでみられてはいかがでしょうか。

残念なことに、江田住職も鬼籍(2001年)に入られました。

9971796_1187541140_98large
9971796_1187541141_231large