「トランプに手も足も出ない習近平に日本の政治家はどこまで媚びるのか」といきなり日本の「位負け外交」を衝く。
中国と密約を交わした弱腰の石破政権は退場せよ、と説く。
そこまではっきりと述べる以上、何かの確固たる裏付けがあるに違いない。本書を読み進むと日本のメディアが伝えない驚くほどの事態の出来が中国の権力内部でおきている事実が淡々と書かれている。
とくに北京に遠慮する大手メディアの中国報道は、あまっちょろくて、奥の院の動きが伝わらない。しかし習近平政権のどろどろとした内幕が本書ではあますところなく照射されている。
大方の読者にとって、この静かなる政変は初耳だろう。
まず習近平と李強首相との間に熾烈な確執が生まれている。「えっ」と驚かされる。習独裁の体制が強化されてきたと思いきや、権力状況はおおきく乱れ始めており、権力状況の分散が見られるという。
ついで軍が習近平にそっぽを向けたというからには穏やかではない。
摘発しても摘発しても軍の腐敗、汚職はとまらない。苗華を手始めに李尚福国防相からロケット軍のボスなど軍幹部をばさばさと処分したが、粛正された軍幹部の多くが習近平派だったのだから中国の権力闘争はややこしい。しかも情勢は日々加速度をつけて変化している。
軍は習への忠誠心を薄めている(というよりもともと習のような『裸の王様』に忠誠心があろうはずが無いのだが)。
中国で経済政策は国務院の専管事項である。つまり李強首相が最高責任者だ。ところが2023年10月、習近平が中央銀行を視察したとき、首相を伴わなかった。
「国家主席が首相の頭越しに人民銀行を訪問するのはまずは異例なこと。その訪問に首相が立ち会っていないのはなおさら異例なことであった」(ちなみに中国人民銀行総裁は経済学者でもない、習お気に入りの人物である)。
2024年5月には「習近平主宰の中央政治局会議が、れっきとした政治局常務委員である李首相『抜き』で開催されるという前代未聞の事態が生じた」
すなわち通貨政策、株価刺激策などに関して人民銀行と李首相との鋭角的な対立が表面化したと石平氏は分析する。
こうした動きをするどく察知して対応したのがじつはベトナムだった。
24年10月にラオスにおける国際会議に出席した李首相はその足でハノイを訪問したところ異例な厚遇をうけた。国家元首にあたるベトナムの総書記が李と面談したのだ。表敬訪問ではなく、国家元首が中国の行政の長と面談したことは異例である。事実上の国賓待遇だった。
この「事件」は、習と李の確執に油を注いだ。
李強首相は「露骨な習近平離れを始めた。彼が主宰する国務院会議は、習近平に関する三点セットには一切触れない」ようになった。
そして、かの『バカ殿』は、『中華民族の偉大なる復興』という常套句を口にしなくなった。これは十三年ぶりの異常事態だ。「内側からの圧力で屈辱と敗退の看板下ろしを強いられたのであれば、それは当然ながら、軍と党の内部からの(習近平への)反撥で権威失墜がさらにすすんでいることを意味する」(37p)
党が発行する公式文書、会議記録、人民日報の論調が変化している。日々こうした公式文書のレトリック、表現を追いかけて丹念に微細に考察し分析している石平氏からみれば、習近平への個人崇拝色が消えているという。
「教祖」としての地位が否定されているのだ。
軍に於いても然り、習近平が抜擢した高官軍人が不在となって、張又峡(軍事委員会副主席)が軍権を掌握した模様だという(46p)
24年10月20日から習近平はモスクワを訪問した、この留守をねらったかのように張又峡は単独行動にでた、河北省張家口の軍事基地で「全軍合同訓練現場会議」を開催した。ついで、単独で越南に訪問したが、これまた李首相厚遇と同様にベトナムは国家主席が出てきた。異例中の異例である。
軍事委員会副主席はもうひとりいる。その何衛東副主席(やはり福建閥の習近平派)は、以後、公の場にでてこなくなった。これで明らかになることがある。軍のトップで失脚した幹部は殆どが習近平派だったことである。
この異常事態の進行はだれがみても「ナニカアル」と思うだろう。そして軍の公式文書から習近平の名前が消えた!
中国で静かなる政変が起きていると本書は示唆している。
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