東アジア歴史文化研究会のブログ

日本人の素晴らしい伝統と文化を再発見しよう

中国共産党史は改竄の偽書だが、さらに改竄を加え習仲勲を神格化 習近平、四選への布石。蔡奇と組んで策略をめぐらすが(宮崎正弘国際情勢)

東アジア歴史文化研究会

四面楚歌の習近平政権は、四選の実現をはかるため、歴史の改竄作業を本格化させている。それは習近平の父親習仲勲の神格化である。


簡単にいえば習仲勲が陝西省、甘粛省などの「陝甘責任者」だったおりに、逃亡してきた毛沢東(これを党史では「長征」という)を受けいれ、救ったのだという『功労』の評価である。実際にTIKTOKなどでは大々的に宣伝されているが、もう一人西北閥の立役者高岡に関しては記述がない(「岡」に山冠)。


毛沢東の井崗山神話とは、1927年8月1日に中国共産党が江西省南昌で起こした武装蜂起の失敗に由来し、南昌に中国国民党革命委員会の看板を掲げたことから「建軍紀念日」となった。蒋介石は中国国民党から共産党員らの分離を決め、汪兆銘が実行部隊であった。井崗山は、初のソヴィエトである革命根拠地を置いた聖域というわけだが、この難攻不落の天然の要害は、山賊の巣窟であった。


「井崗山神話」の実態はと言えば、毛沢東が山岳地帯に逃げ込んだ際、地元の山賊を味方につけたことであり、その当時、井崗山を拠点としていたのは凶暴な山賊たち、なかでも袁文才と王佐という二人の頭目の縄張だった。


彼らは「殺富済貧(富める者を殺し貧しき者を救う)」を掲げており、革命軍への吸収が図られた。毛沢東は彼らを騙しのテクニックを駆使して、義兄弟の契りを結ぶことで潜伏に成功した。


山賊たちは「工農革命軍(のちの紅軍)」に編入され「武装闘争」の中核部隊となるが、1930年、袁文才と王佐は紅軍内部の政治的な疑心暗鬼により暗殺された。笑止千万、井崗山は1984年に愛国主義教育基地に選定されている。


高岡は後に物議を醸す小説のモデルともなり習仲勲らが推薦したため毛沢東に敵対したと見做され失脚に繋がった。習仲勲はダライ・ラマ法王と交流し、長老格で周恩来の秘書だった宋平とも親しかった。


さらには人気のあった雑誌『炎黄春秋』を支持し、制約の範囲内で党批判論文も多く掲載された。この『炎黄春秋』を廃刊したのが皮肉にも息子の習近平であった。


仲勲の戦友で、1936年に戦死した劉志丹の弟夫妻が、小説『劉志丹』を執筆、出版した。失脚した高崗をモデルにした人物が登場するため、毛は「小説を利用して党に反対するとは一大発明だ」と批判し、習仲勲が黒幕だと非難されて失脚、副総理も解任された。


独裁者とは権力の私物化であり、個人崇拝が絶対に必要であり、習近平は毛沢東の「井戸岡山神話」を巧妙に「陝甘神話」へと党史の改竄をはかるわけだ。近年の共産党入党試験では「習近平に忠誠を誓うか」が設問にある。


周恩来が首相時代に習仲勲は宣伝部長、ついで国務院秘書長、副首相をとつとめ、改革派と見られた。多少の人望もあったらしい。


復帰後、広東省書紀時代に深浅を経済特区とする構想など、トウ小平の手柄とされるが発案は習仲勲だった。習仲勲は前妻との間に二男二女。後妻(習近平の母親)は現在も深浅に住んでいる。姉二人はその南隣の香港で手広くビジネスを展開している。この地縁はもともと習仲勲が広東書記時代の因縁による。実弟は豪に移住し、不動産投機をしているという噂がある。


▼地縁血縁の義理を重視する中国人の業


宗教を重視する政治家を習近平は粛清の対象にしている。ところが、習家は一族挙げて仏教を信じており、夫人の膨麗媛は熱心に仏教寺院に通う。江沢民も聖地五台山へ二回登っているように仏教徒ではありながら、部下には『別の神を信じさせない』。ファミリーの神格化である。


中国の王朝は体質的にファミリーを形成する。


毛沢東、劉少奇、周恩来のファミリーは劉少奇の息子劉源をのぞいて没落し、周恩来の養子だった李鵬も子供達は左遷された。


薄家、江家、胡家も消滅あるいは海外亡命、左遷と相成って、習家もいずれ没落する宿命にあるが、皇帝の宿命は中国人の業ともいえる。


2024年には「西北歳月」というテレビドラマが20回シリーズで作られ、習近平の家族のドラム仕立てで、それとなく家風は厳格であり、教育者だったというイメージの扶植をはか物語となった。つまり習仲勲の『功績が大きすぎたため』、嫉妬した毛沢東は習仲勲を排除し、失脚させたのだとするテレビ番組だったのである。


1976年に復活した習仲勲は家族会議を開き、姉と実弟は海外へ移住させ、財の蓄積をはからせる一方で、長男の習近平には『隠忍自重』、チャンスがきたら一気に事をなせという政治教育をした。


史実としての習仲勲は西北局のトップにあったが、1962年に左遷され、67年に投獄された。74年にトウ小平が復活して、復帰するまで17年間、習近平は父親に会えなかった。習仲勲にとって、自分を失脚させた毛沢東は憎むべき相手ではあるものの、その権力奪取の手法に自分の失敗を重ね、息子には「第二の毛沢東になれ」と諭した。


習仲勲記念館(関仲革命記念館)は習仲勲墓地に併設され、その面積は約7千平方メートル。専用道路と駐車場を含めると2万平方メートルを超える。彼の故郷である陝西省渭南市富平県に位置しており、陵墓、記念館、旧居の3つから構成される。ここも愛国主義教育基地に指定されている。


発案者は習仲勲と同郷の趙楽際で、胡麻擂り出世を狙って、多くの農地を強制収用したため、地元では反対デモが起きた。このデモは海外メディアも報じた。


習近平時代が始まると、趙は党中央組織部長の要職に抜擢を受け、習近平派の番頭格となった。趙楽際は北京大学哲学部出身である。古今東西の哲学書を手当たり次第に読みあさる読書家だった由で、とくに帝王学を教える中国の古典を好んだ。中央組織部部長を経て、第19期中央委員会第1回全体会議で、政治局常務委員となる。中央規律検査委員会書記にも選ばれたが汚職摘発の実践は王岐山だった。


趙楽際は、2023年3月の全国人民代表大会で全人代常務委員長に選出された。胡麻擂り男の大出世物語である。しかし趙楽際はその後の政変に沈黙し、習近平支持を打ち出していない。日和見主義に徹している。


▼王岐山も陳希も使い捨てられた


汚職追放で辣腕を振るった王岐山とて、王人脈と見做された秘書や金融閥が軒並み失脚し、習近平によって使い捨てられた。 


組織部長となったのは陳希である。陳は習近平の清華大学の同級生であり、寮で同室、上下のベットをわけあった仲である。組織部長というポストは人事権を握る。ご機嫌伺いに来る幹部は、手土産に紅袋(賄賂)持参が定石である。


陳希は2017年10月、中国共産党中央政治局委員、中央書記処書記、中国共産党中央組織部部長となって党中央党校校長に昇格(現在、このポストは蔡奇)した。


その後、中国延安幹部学院院長、中国浦東幹部学院院長、中国井岡山幹部学院院長を兼務したが、最近の消息では4級から13級への急降格となって中央舞台から消えた。


▼汚職は美風なのだ


汚職の体質は宿痾のようなもので、中国人の体質に染みいったDNAとも言えるだろう。


血縁、地縁は徹底的に面倒を見る。その恩に報いるには権力を握れば特権を、それなりのポストにつけば利権をあたえる相互支援システムであり、とりわけ、これを美風と認識するのが福建省の人びとである。


問題は福建省閥の壊滅状況である。

張又侠と劉振立失脚に際して公安部特殊部隊を派遣し、軍から恨みを買った公安部長の王小洪は事実上の失脚。連座で陳希、そし蔡奇の右腕・魏小東も失脚している。


6月6日、中国人民政治協商会議(政協、国政助言機関)の魏小東北京市委員会党組書記・主席は「重大な規律・法律違反の疑い」で拘束されたと発表された。


革命以後、中国人民解放軍で「元帥」の称号を授与されたのは朱徳、彭徳懐、林彪、劉伯承、賀龍、陳毅、羅榮桓、徐向前、聶栄臻、葉剣英の十人で、このなかに習仲勲は入っていない。かれは革命戦争第一野戦軍では彭徳懐司令員の下、政治委員だった。


改革開放期の「八大元老」とはトウ小平時代に、政治の実権を握り国政の最高決定を行った陳雲、李先念、彭真、楊尚昆、薄一波、王震、宋任窮の八人である。


かれらのなかで『畳の上』で天寿を全うしたのはごく少数である。


かくして反・習近平派の猛攻によって権力基盤の中枢部はガタガタ、習近平政権は危殆に瀕していると言えるのではないか。