東アジア歴史文化研究会のブログ

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中国各地で高官の人事移動が激しくなっている 軍事委員会弁公室の周洪許とは何者か(宮崎正弘国際情勢)

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周洪許は北部戦区陸軍副参謀長(少将)になる前、2008年の四川省地震のときは救援活動を指揮した。その前は雲南省のジャングル地域の駐屯兵だった。


この周洪許が、2021年に北京防衛、とりわけ中南海を警護する「警備局長」に大抜擢され話題を呼んだ。


そして2025年12月、中央軍事委員弁公室主任となった。張又侠の首席補佐官のようなポストだが、華字紙は消息筋の分析だとして、「周は習近平を裏切り張に寝返った」と騒いだ。


王小洪は公安部長に抜擢されたのも習近平の引きである。王小洪の就任直後から地方幹部たちの奇妙な自殺、それも反習近平派が立て続けに自殺して表舞台から消えた。中国では自殺と発表される事案は往々にして他殺である。


河北省の副省長(副知事に相当)と公安庁長(警察本部長に相当)を兼ねた劉文璽、甘粛省党委員会の周偉秘書長、遼寧省大連市副市長の曽兵が突然死んだ。天津市では廖国勲市長(閣僚級)が急死。そのほか、河北省党政法委の趙革書記死亡説が流れた。


対米交渉では王小洪がフェンタニル問題を交渉の切り札として登場し、場違いの経済貿易交渉の場に参加したことは注目を集めた。


習近平の外交戦略の一端を担って、最も信頼されていた人物だが、現在、きわめて微妙な立ち位置にいるようだ。


馬興瑞は政治局員である。哈爾浜工業大学教授を経て宇宙天文分野で辣腕を発揮し、軍と関係が深い国有企業「中国航天科技集団」幹部を務めた宇宙分野の専門家だった。中央政界に抜擢をうけ、広東省副省長から深せん特別市党委員会書記、そして悪名高き陣全国の後釜としてウイグル自治区書紀に栄転した。


それが突然、新疆ウイグル自治区党委書記を追われ、陳小江と交替した。12月10~11日の「中央経済工作会議」に党政治局員であるにもかかわらず馬興瑞は欠席した。


新任の陣小江は規律検査委員会畑の人間で国家民族事務局書紀とつとめていた


▼南京で『反日行事』は抑制されていた


12月13日は日本軍の南京入城から88年。中国共産党は江蘇省南京市の「南京大虐殺記念館」で追悼式典を開催したが、反日色を薄めたうえ、最高指導部メンバーの出席はなかった。


半旗が掲げられ、8千人が動員されたが抑制され、かろうじて石泰峰・組織部長が演説した。石は、「軍国主義を復活させ、戦後国際秩序に挑戦し、世界の平和と安定を壊そうとする企ては必ず失敗に終わる」などと宣伝ビラを読み上げるに留めた。軍国主義そのものの国家が平和国家を軍国主義などというのはあまりにも現実離れしている。


在中国日本大使館は、「反日感情が高まりやすいので日本人と推測される服装などを避けるように」と在留邦人に注意喚起を出していた。